2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧

ウブド散歩

三日目は、特に予定がないということで、ウブドの散歩へと出かけた。 ネカ美術館に寄った後は通りに並んだ店を巡る単なるウィンドウショッピングである(土産の大半は、従姉の旦那さんの顔のきく土産物センターで購入済み)。 奥さん・母親×2の女性陣は、や…

バリの水田

今回泊まったホテルワカデウマ・リゾートは周りを田圃に囲まれていて、朝から鍬を担いだヒトがあるいたり、昼になると虫を駆除するためにガチョウが放たれたりしていて、何とも風情のある眺めとなっている。何でもホテルがこの辺りの土地を買い取って、昔な…

レゴン・ダンスの夕べ

寺院めぐりを終えた我々親孝行ツアーご一行は、夕暮れ時のテラガランでお茶を楽しんでから、ウブドの街中に戻ってきた。 予定てんこ盛りの今日の観光は、これでも終わらない。従姉の旦那さんと合流して腹ごしらえしてから、夜のメインイベント・レゴンダンス…

ティルタ・エンプル

キンタマーニ高原からウブドの方へ下っていく道は、のどかな田園を抜けていく。昼下がりのぬるい空気の中、我々親孝行ツアーご一行もうとりうとりとしていた。 「着いたで」と従姉に言われて車を降りると、そこはティルタ・エンプル(湧き水寺院)。聖なる泉…

佐々木悦蔵『樺太土人語日用会話』

樺太土人語日用会話 / 佐々木悦蔵編 東京 : 武装堂, 1905(明治38)年8月 旅行者:佐々木悦蔵(?-?) 渡航先:樺太(サハリン) 渡航時期:1900年頃 厳密に言えば、この本は旅行記ではないし、著者も旅行者ではありません。しかし、人が見知らぬ土地に出る際…

ウヌン・ダヌ・バトゥール寺院

昼食を済ませた我々は、次いでウヌン・ダヌ・バトゥール寺院に向かった。名前から推察されるとおり、バトゥール山を祀るお寺である。雄大な山を背に、静かな佇まいを見せるなかなかの名刹だ。 もともとはバリ随一の寺:アグン山ブサキ寺院に詣でたいと従姉夫…

キンタマーニ

バリ2日目。この日は、従姉がガイドとなって、バリの内陸の観光地を巡るドライブに出かけた。 まずは、定番中の定番、キンタマーニへ。ちなみに、「キンタマーニ?やーねぇ、もう。」なんていうお決まりのやり取りも、朝っぱらからもちろん我々の間で交わさ…

バリに到着する

バリにはその日の夕方、定刻どおりに到着した。入国審査で(案の定)ギャル男君ご一行が一悶着を起こしてくれたおかげでちょっとばかり待たされたが、とにもかくにも4人全員無事にバリに降り立った。 そして、空港で従姉夫婦と合流し、ホテルのあるウブドへ…

飛行機に乗る

我々親孝行ツアー一行は、空港で液体持込なんかでもテンヤワンヤの騒ぎを巻き起こしながらも、何とか飛行機に乗り込んだ。 飛行機はガルーダ・インドネシア。「これでもか」という位の日本人観光客ばかりで、学生からカップル、ギャル男君ご一行と、多士済々…

なぜ「親孝行旅行」か?

私はこれまで、何度も<一人旅>を繰り返してきた。そして、結婚してから<新婚旅行>というのにも行った。普通に考えれば、これで十分かもしれない。しかし、まだ挑戦していない分野はあるのではないだろうか?と、ミャンマーから帰ってから悶々と日々を過…

違和感一杯の旅の〆

この連載もちょっとグダグダになってきたので、そろそろしめたいと思う。 正直なところ、今回の旅行で僕が見聞してきたことと、エマ・ラーキン『ミャンマーという国への旅』を読んでのミャンマーの印象の違いには、違和感を感じずにはいられない。ミャンマー…

押川春浪『中村春吉自転車世界無銭旅行』

押川春浪『中村春吉自転車世界無銭旅行』東京, 博文館, 明治42.8, 326p. 旅行者:中村春吉(1872−1944) 渡航先:世界一周(中国、東南アジア、インド、中近東、ヨーロッパ、アメリカなど) 渡航時期:明治35年(1902)-36年(1903)<表紙> 現在、「貧乏旅…

本を読むミャンマー人

ヤンゴンを歩いていて一番目に付くのは、実は本屋です。どの路地にも本屋が店を構えてますし、露店の本屋さんも数多く見かけます。 並べられている本は、もちろん新刊本とかはあまりなくて、手垢にまみれたものがほとんど。内容は、仏教説話などの簡単な宗教…

“仏”ワンダーランド

ミャンマーを語る際には、“仏(ブツ)”を欠かせません。 例えばパガンでは、外観では分からないが、乱立するパヤー(仏塔)の中に一歩足を踏み入れると、いやに前髪がそろっているブッダや、腰つきがセクシーな菩薩や、あんまり大きくないパヤーの中に無理や…

ミャンマー飲食事情

「飲」すなわち「酒」からいきましょう。 まず、ビール。 ミャンマービールが素晴らしい。東南アジア特有の薄いビールなのかと思いきや、しっかりした味で、本場ドイツのコンクールでも高評価、というのもうなずけます。今では、老舗のマンダレービールより…

吉田正春『波斯之旅 回彊探検』

吉田正春『波斯之旅 回彊探検』東京, 博文館, 明治27.4, 191p+地図.旅行者:吉田正春(1951-?) 渡航先:イラン(ペルシャ)など 渡航時期:明治13年(1880)-14年(1881)<表紙> 余は平生旅行を好むの癖あり、何事も目新しき境遇に出逢ひては、陳腐なる脳…

「図書館の情報発信―最新の技術と図書館サービス」の反響 #1

小生が共著で参加した本が刊行されたことは、12/27のエントリー図書館の情報発信―最新の技術と図書館サービスで書いたとおりなんですが、ACADEMIC RESOURCE GUIDEの岡本真さんが、ご自身のブログの1/7のエントリーで小生の原稿について言及してくれていまし…

はじめに

明治時代、鎖国体制から解き放たれた日本人は、積極的に異国へと出て行きました。まだ限られた人しか海外へは渡れることができなかったとはいえ、それまでと比べると各段に多くの人が、世界各地へと旅立っていきました。そして、その旅の目的や旅程も、お偉…

ヤンゴンを歩く #2

旅する時にガイドがいれば、これほど楽なことはない。そう思う方は多いと思います。 ところで、ヤンゴンでガイドを探すのは難しいことじゃないと思います。ガイドがいれば、中央マーケットでの買い物も格段に楽になります。 キョロキョロしながら歩いている…

ヤンゴンを歩く #1

パガンでのんびりしてから、ヤンゴンに戻ってきた。 ヤンゴンは活力溢れる大都会だ。少なくとも、それまでの5日間パガンの緩い空気に馴染んでいた僕はそう思った。 ダウンタウンは、スーレー・パヤーを中心に整然とした区割りになっていて、植民地時代の名残…

パガンの夕陽

パガンの夕陽は本当に素晴らしいです。特にこの季節、晴ればかりで空気は乾燥していて、基本的に外れがありません。 ちょっと高いパヤーの上から見るもよし、船でイラワジ河に漕ぎ出すもよし、タンテ・ホテルの庭で酒を飲みながら眺めるもよし。色んな楽しみ…

パガンの歩き方

パガンの交通手段は、馬車でした。 だだっ広い大地に散らばる遺跡や寺院、そして新市街から数キロ離れたホテル、12月とは言えかなりの炎天下。自転車での移動は、初日に少しトライしただけで断念したのです。 馬車はホテルの前にタムロってる(というか、そ…

パガン遺跡群

パガンと言えば、何でこれがユネスコ世界遺産に登録されていないのか不思議でならないくらいの壮大な仏教遺跡群が有名です。 例えば、空に浮かぶ城ラピュタがハンマーで砕かれ、ばらばらになって広く赤い大地に散らばってしまったような感じ、とでも言いまし…

パガンへ

ヤンゴンからパガンへは、Bagan Air機(プロペラ機)で一っ飛び。新婚旅行ですから。ちなみに、飛行機は往復とも座席指定が無いというサプライズなおまけつきでした。 そして、空港からはさくっとタクシーでホテルへ。 パガンは、大きく分けて、中心街で安宿…

ミャンマー新婚旅行事始

一昨年、ミャンマ(注1)ーに行ってきた。しかも、新婚旅行。 親をはじめ、周りの人からは「あり得ない」だの「よく奥さんがOKしたね」だのと否定的なコメントを数多く頂いた(一部の知人は羨ましがってくれたが、もちろん、そんなのは圧倒的少数だ)。 確か…

レー・ドス・モチェ

僕のレー滞在中に、街は年に一度のドス・モチェの日を迎えた。 ドス・モチェとはチベット暦の年末(西暦では2月)の2日間に行われる豊年祭のようなもので、冬の間はさびれたレーの街も、この時ばかりはラダック中から集まってきた人たちで溢れかえるのだ。 …

ゴンパ巡り

【アルチ・チョスコル・ゴンパ】 アルチは静かな村だった。 入り組んだ路地を歩いていると、仲の良い井戸端会議メンバーで朝の散歩てらにやってきましたという風情の老婆五人組が、何事か楽しそうにお喋りしながらゴンパに向かって歩いてきた。背中には、コ…

レーのタクシードライバー

高山病の症状も幾分和らいできたので、タクシーをチャーターして少し遠出してみようと思った。本当は誰かと車をシェアしたかったところなのだが、手ごろな道連れが見つからず、結局一人で、3つのゴンパ―アルチ、リゾン、リキル―を周ることにした。 まだ夜も…

レーの行商人

レーのメインバザールの行き止りとなっているモスクを左に折れたところの通りに面した店は、冬の間は閉まっているらしい。たまに、取り残されたように土産物屋が開いていることもあるが、閑古鳥が鳴き続けているような有様だ。 その通りの南に面した側にはイ…

レーの日本人

オフシーズンのレーにいる外国人は数えるほどだ。ごく小さな街なので、数日もするとだいたいの顔を覚えてしまう。 日本人はというと、僕の他にデリーからの飛行機で一緒になった、T君という学生が一人いた。彼は京都から来た大学生で、インドばかり5回も貧…