2008-10-01から1ヶ月間の記事一覧

師岡国『板垣君欧米漫遊日記』

師岡国編 『板垣君欧米漫遊日記』 東京, 松井忠兵衛, 明治16年, 58p.<本文>自由民権運動の旗手として名高い板垣退助(1837-1919)は、明治15年から16年にかけて、盟友の後藤象二郎とともに欧米に外遊した。行き先は、彼の民権思想のバックグラウンドを考え…

ゴルムドにて(1)

寝台バスのベッドから身を少し起こし、垢で薄汚れた毛布を少し押しのけて窓の外を見たが、何も見えない。本当にここはゴルムドなのだろうか? 昨日の晩に敦煌を出てすぐ寝てしまったし、そもそも真っ暗闇の祁連山脈を縦断してきたので、外の景色は見ていない…

北畠道龍『印度紀行釈尊墓況説話筆記』

北畠道龍(述), 森祐順(記) 『印度紀行釈尊墓況説話筆記』 大阪, 西岡庄造, 明治17(1884)年, 24p.<本文>北畠道竜(1820-1907)は、和歌山県出身の僧侶(浄土真宗西本願寺派)である。今回は、彼のインドへの旅について。 本来であれば、彼自身の手に…

#30

2008.5 Bukhara, Uzubekistan. すべてが表現され、行われてしまったとき、それに意味などないということを知るのはなんと快いことだろう。 ジャック・ケルアック『荒涼天使たち』 大きな地図で見る 荒涼天使たち〈1〉作者: ジャックケルアック,Jack Kerouac,…

#29

2008.4 Asagaya, Japan. たえず変化し、すべてを実現し、やってきては去り、泣き言をいい、苦しみ、喜び、叫ぶのは、ぼくであって、この空漠たる世界ではないのだ。 ジャック・ケルアック『荒涼天使たち』 大きな地図で見る 荒涼天使たち〈1〉作者: ジャック…

ゴルムドへ

西蔵に行ってみようかなと思った。 身動きがとれないというのはこういう状況のことをいうのだろうか。俺は、カシュガルの華僑賓館の一室で、一人頭を抱えていた。 ウルムチでは、カザフスタンどころか、新疆北部のイリ地方にすら入ることができなかった。長…

東京美術学校校友会『河口慧海師将来西蔵品図録』

東京美術学校校友会編 『河口慧海師将来西蔵品図録』 東京, 画報社, 明治37(1904)年.<本文>河口慧海(1866-1945)と言えば、黄檗宗の僧侶にして、当時鎖国下にあったチベットに二度(1900-1902、1913-1915)にわたって単身潜入し、ラサで仏典研究を行っ…

万国寝台急行列車会社『西比利亜鉄道旅行案内』

万国寝台急行列車会社 『西比利亜鉄道旅行案内』 東京, 万国寝台急行列車会社, 明治44(1911)年, 157p.<本文> 今回は、いつもの旅行記から趣向を変えて、いつの時代も旅人に欠かせない<旅行ガイドブック>を紹介してみたい。日露戦争が終了するまでは、…

竹越与三郎『南国記』

竹越与三郎 『南国記』 東京, 二酋社, 明治43(1910)年, 374p.<本文>日清戦争以降、日本国内の世論は中国大陸への進出により重きを置く所謂「北進論」が大勢が占め、南洋や東南アジアなどの南方への経済的進出(殖民を含む)を説く論客(主に民間人)は少…

バナーラスの太鼓女

去年、四川で会ったアメリカ人から久し振りにメールが来た。どうやら、少し前に紹介しておいたこのblogをみてくれたらしい。 で、僕が2001年12月にインドのバナーラスで撮った上の写真について、 "Can you believe I have a photo of the same woman you sho…

石井研堂『十日間世界一周』

石井研堂 『十日間世界一周』東京, 学齢館, 1889(明治22)年, 84p.<本文> ※第2版今回取り上げる『十日間世界一周』は、<旅行記>ではない。「旅行体験を語る」という体裁になっているのだが、「飛行船を使って10日間で世界を一周する」などというトンデ…

原田藤一郎『実践地誌 北清事情』

原田藤一郎 『実践地誌 北清事情』 東京, 青木嵩山堂, 1894, 99p.<本文>原田は、1892年から北東アジアを単身旅行した。船で上海に入り、そこから陸路北京まで北上し、そこから満洲を横断してからソウルまで南下する。その後は、元山から日本海沿いにウラジ…

関重忠『渡英のおもかげ』

関重忠 『渡英のおもかげ』 神戸, 中尾新太郎, 明治36年(1903年), 53p.<本文>日英同盟締結(1902(明治35)年1月20日)直後のイギリス国王エドワード7世の戴冠式に際して、日本からは明治天皇の名代として、小松宮彰仁親王が出席した。親王を乗せる艦隊…

メコンの光:カントー〜ホーチミン

遂に来た。旅に没入していくための通過儀礼(もう終わりかけてるが)。そう、下痢だ。カントー行きのローカルバスの中で日本人が一人、脂汗をかいて悶えている。 朝から嫌な予感はしていた。 七時にチェックアウトして、テダム通りの路傍の定食屋でぶっかけ…

旅の流儀:ホイアン〜ホーチミン

ホイアン二日目、僕はミーソン遺跡ツアーに参加した。ツアーといっても、バスで遺跡の近くまでの送迎を行うだけのことだ。ホイアンからバスで1時間ばかりのところで、降ろされる。入場料を払い、そこからは無料のジープで遺跡まで行く。 遺跡に着くと、日本…

ビールと提灯:フエ〜ホイアン

やはり眠れない。何時になったんだろう。周りのやつはみんな気持ちよそうに眠っている。口まで開けて、えらく気持ちよさそうだ。 向かいの建築科の大学生は大学のあるフエに戻る途中だという。斜め向かいの男はフエに仕事を持っているとか言っていたが、シャ…

陰翳礼賛:ハノイ

椅子は硬い。足も伸ばせない。隙間風が身にしみる。他の乗客の咳払いが耳につく。全く寝られやしない。こうなると、それまで空気のように感じて何も意識しなかった、列車の音や揺れさえも、旅人の睡眠を妨げる要素となる。 僕はハノイからフエへと向かう夜汽…

ヒマラヤの麓にて

ネパールの首都、カトマンドゥ。聖なるヒマラヤに抱かれたこの街は排気ガスで汚れきっている。何かないかと皆同じ顔をして、世界中からドルやユーロや円を持って旅行者が集まるタメル一帯はその中心に、俗なるものの中心に位置する。 もうもうと煙草の煙が立…

蛇足 「八重山図書館考」

個人旅行者にとって“情報”は最も大切なものである。ガイドブックだけでなく、宿泊情報や交通情報から政治情報・天気予報などを、口コミや情報ノート、現地の新聞、そしてここ10年はインターネット(ニュースサイトから掲示板、無料WebメールからSNSまで)な…

波照間島→石垣島→小浜島

小さい頃から、口内炎ができると母親はこう言ったものだった。「チーズを食べなさい」と。何がどういうからくりで効果があるのかは知らないが、口内炎ができる度に盲目的にチーズを食った。そして今も、そうしている。 そして、朝起きた俺は、自分の下唇がと…

波照間島

まだ背丈の低いサトウキビ畑を真っ直ぐに貫いた道が、茫洋たる蒼海へと緩やかな斜面を下っていく。前日からの陽射しで、俺の顔は赤黒い顔になっていた。急に南国の強い太陽に曝されて妙な日焼けになってしまったようで、その薄汚れた服装と相俟って、“精悍”…

竹富島→石垣島→波照間島

竹富島というのは、舗装されていない白い砂の路地に、珊瑚の黒い壁、そして瓦葺の屋根の上にはシーサーという具合に、コマーシャルで見かけるステレオタイプ的な沖縄のイメージを具現化した、誤解を恐れずに言えば、観光の島だ。 朝にはおばぁたちが路地を掃…

鳩間島→石垣島→竹富島

朝8時半、郵便船がやってきた。ちょうど同じ頃、海上ロケをやるらしく、俳優やスタッフが乗り込んだ貸切フェリーが今にも岸を離れようとしていた。 このお見送りのために、里子一家から郵便船のおっさんだけでなく、島の人が総出で手を振りに来た。2日後には…

鳩間島

鳩間島は小さな島だ。ゆっくり回っても2時間で島を一回りできてしまう。 必要以上に曰く有り気な御獄の上に立てられた鳥居や、何やら珊瑚の残骸にしか見えない平家の残党(!?)の家の跡や、八重山の島々にはお約束の島内共同ゴミ捨て場。車にしても壊れて…

西表島→鳩間島

俺たちは、何時来るかも分からない船を、北風が吹きつける上原港に腰を下ろして待っていた。・・・八重山なのに寒いし! 次の目的地は鳩間島。人口50人程度の小さな島だ。ここへ向かうには八重山から一日おきのフェリーか、上原から毎日出ている郵便船に乗せ…

西表島(2)

西表島は意外に大きな島だ。東部の大原から西部の上原・船浦まで車で小一時間はかかる。 二日目の宿は、上原の港近くのM荘。部屋は襖で仕切られただけで、ドアとベッドの文化に慣れた旅行者(俺含む)にはかなり衝撃的だった。 「下着が盗まれまた事件があ…

西表島(1)

2日目、俺たちはカヤックで仲間川を遡った。ただ、これは辛い思い出でもある。ガイドは、Hさんにお願いしていた。 インターネットでカヤックツアーを物色していたときにたまたま見つけたのがHさんの会社なのだが、彼の日本をカヤックで縦断したというその…

石垣島→西表島

蛇化未禰が「腹が減った」と言うので、西表島へ渡る前に遅い昼を食べることにした。 正直なところ、もう2時を過ぎていたので、この時間の昼食は宿での夕食に差し支えるおそれがあるので、俺は全く乗り気でなかった。 しかし、集団行動であるため、この程度…