石垣島→西表島

蛇化未禰が「腹が減った」と言うので、西表島へ渡る前に遅い昼を食べることにした。
正直なところ、もう2時を過ぎていたので、この時間の昼食は宿での夕食に差し支えるおそれがあるので、俺は全く乗り気でなかった。
しかし、集団行動であるため、この程度の妥協はやむを得ない。「うむ、それではソバでも食うか」と、勿体をつけて言うのが、俺の精一杯の返しだった。
西表島へ渡るチケットを買ってから、離島桟橋のすぐ側の、80年代から続く店をちょっと今どきっぽくしてみました、といった趣のレストランで、俺たちは八重山ソバを食べた。いや、正確に言うと、蛇化未禰だけはソーメンチャンプルーを食っていた。
何でこんなところに来てまでソーメンなんか食うのか?と、奈良出身の俺なんかは思うのだが、これまた迂闊には口に出せない。しかし、ある意味で蛇化未禰の方が正解だったと後から思うのは、それからの八重山旅行中、ほぼ毎日の昼食がソバになったためだ。

4時すぎ、一日目の宿、西表島大原のN荘に旅装を解くことができた。
ここは、航空券と設置とセットになっていたところで、自ら積極的に選んだところではない。つまり、選択の余地のない宿なわけで、外国で行き当たりばったりの宿探しが身に染み付いた俺には、どうもしっくりこない。しかし、つくりもしっかりしているし、風呂・シャワー付きの部屋だし、つまりは悪くない。
さてちょっとボーっとさせてもらおうかよっこらしょ、と横になりかけたら、蛇化未禰が散歩に行こうと言い出す。
「俺はどうしてもここで寝る」と言うほどの疲労でもないし、ボーっとしたところで、5分もすれば飽きるのは分かっていたので、出かけることにした。
そこで、まず俺は、八重山仕様に衣装替えを行うことにした。即ち、靴と靴下とズボンをリュックサックの奥にしまいこみ、草履と麻のクタクタパンツを身にまとった。一週間後の帰る日までは、どうしてもこの格好で通そうと、気持ちを新たにする。

閑散とした道路。時おり、犬の夕方の散歩をする少女と行き交い、轟音でダンプが追い越していくだけだ。勝手な言い分だが、活気も風情もない。シーズンオフだとこんなものなのだろうか。
そんな集落のあちこちに、一体いつの時代に作ったのかと思わされる、竹富町学力向上対策委員会が乱立させる標語だけがやたら目に付く。
例えば、「オアシス運動」・・・お:おはようございます。あ:ありがとうございます。し:失礼します。す:すいません。このような看板がそこかしこに立っているのだ。俺は部外者だけど、正直勘弁してほしい。
あまりの面白さに、最初はうひゃうひゃ笑っていたが、次第にアホらしくなってやめてしまった。そしてこれをやめてしまうと、他に笑うところがない。そうして、俺たちの空港に着いて以来続いていたテンションも急速に萎んでしまった。
仕方ないので、宿の屋上で、近くのこの地区唯一と思われるスーパーで買い込んだビールを飲んだ。夕陽と涼しい風ですっかり気分が良くなり、したたかに酩酊してしまった。

晩飯は、昼間に川平湾で見たことあるような青い魚の刺身だった。味はまぁまぁ。
そして食べ終わると、すっかりやることがない。口の先まで、禁断の「(男三人で)大富豪でもやろう」という言葉が出掛かったが、辛うじてこらえた。これは、後で聞いたところによると、他の2人も同じであったらしい。
こうなれば、もう選択肢はない。最後の気力を振り絞って、近くのスナックのような飲み屋のような、つまり酒を飲みに行った。