2009-01-01から1ヶ月間の記事一覧

#52

2006.12 Bangkok, Thailand. わびしい部屋の中を見回すと、ぼくの希望を詰めこんだリュックがある。 ジャック・ケルアック『ビッグ・サーの夏−最後の路上』 大きな地図で見る ビッグ・サーの夏―最後の路上作者: ジャックケルアック,Jack Kerouac,渡辺洋,中上…

手島益雄『婦人の慰問使』

手島益雄 『婦人の慰問使』 東京, 愛国婦人会, 明治38(1905)年, 123p.<本文>かつて、奥村五百子(1845-1907)という猛女がいた。 若い頃は尊王攘夷運動に加わり、明治になってからは婦人運動に熱心に取り組んだ。また、朝鮮に学校を建てたり、日清戦争の…

「旅の黄金世代」再考

去年、友人である大陸堂店主君(id:tairikudo)と「現在30歳前後の我々は、≪旅の黄金世代≫なのではないか?」という居酒屋トークをした。そして彼は、その内容のネタを通貨レートという視点から、 自分やyashiが一番ガチンコで旅をしていたのは2000年から200…

南益行の「観光図書館論」

<旅>もしくは<観光>と<図書館>との関わりについて、最近少し話題になっている(「している」といった方が正確か?)。 旅する図書館屋−Traveling LIBRARIAN 「旅人のための図書館を夢想する」(08/12/27) ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG) - ブログ版 …

青柳郁太郎『秘魯事情』

青柳郁太郎 『秘魯事情』 大多喜町, 青柳郁太郎, 明治27(1894)年, 114p.<本文>1880年代の農村の疲弊は、結果として西日本を中心に多くの出稼ぎ農業移民を生み出した。 ペルーは、南米でも最も早く日本人移民が入った場所である。1899年、移民会社・森岡…

【告知】図書館は視えなくなるか?

友人が仕掛けるシリーズ・イベントの記念すべき第1回です。非常に刺激的な内容ですので、是非。もちろん私も参加します。 図書館は視えなくなるか? ―データベースからアーキテクチャへ 国立国会図書館長=情報工学者・長尾真のシリーズ対談 現・国立国会図…

ラサにて(2)

陽も傾いてきたので、ヤク・ホテルに戻った。 部屋は清潔で、ベッドが5つ並んだドミトリー形式になっていた。相部屋になっていたのは、日本人の大学生の男2人組と、日本人とイギリス人の一人旅の女性がそれぞれ1人ずつの、合計4人。昨日の夜遅くに入ってきた…

10日目:シンガポール→関西

昼過ぎ、幾分ホッソリしたシンガポール組4人は、かねてから密かに約束していた通り集合し、そして更にシンガポーリアンの女子2人と合流した。 彼女たちは、我々も参加した1995年のシンガポールへの修学旅行の際に実施された学校交流で私が仲良くなり、そして…

9日目:マラッカ→シンガポール

最初にも書いたけれども、今回の旅は、何ら主体性を発揮しないシゲオを除くメンバーからのリクエストをもとに組み立てたものだ。 これまで、それぞれのリクエストを何らかの形で実現してきたが、最後に残っていたのがヒロヤの「鉄道に乗りたい」だった。実は…

8日目:クアラルンプール→マラッカ

この頃から、シゲオが新ギャグを披露し始めた。 上目を向いて「にゃー」という声を発して猫の泣き真似をする。意味が分からないし、気持ちが悪い。シゲオは、事あるごとに、特に自分の立場が悪くなるとこのギャグを披露した。最初は笑っていた我々も、次第に…

7日目:プーケット→クアラルンプール

朝、まだ夜も明けきらないうちに、我々はささやかな満足感を胸に抱きながら、しかしかなり後ろ髪を引かれつつもプーケットを離れた。 この日の目的地は、マレーシアの首府クアラルンプール。いよいよ国境を越える。まずは、タイ南部の交通の要衝・ハジャイま…

6日目:プーケット

この日、我々は、新しいフォーメーションを組んだ。これまで基本的に5人そろっての行動だったのだが、旅に慣れてきたということもあって、2-2-1のワントップ型システムを採用したのだ。 今回は、ケンタロウと私が後ろを固め、ヒロヤとヒサシが中盤を構成し、…

5日目:プーケット

壮絶なる夜行バスを克服した我々は、輝く太陽、青い海、白い砂浜、水着の美女、その全てが眩しいプーケット島に降り立った。 バトン・ビーチの北外れにある小綺麗なホテルに荷物を放り出して、早速ビーチへ繰り出す5人。バンコクの喧騒から解き放たれた我々…

4日目:バンコク→プーケット

最初に書いたとおり、今回の旅では、メンバーからそれぞれ寄せられたリクエストをもとに、私が行き先や旅程を組んでいったのだが、バンコクでのリクエストは、ヒサシの“タイ式マッサージ”だった。彼はその後の数年間、居酒屋店長として連日のように「だるい…

3日目:バンコク

旅に出て3日目。この頃から慣れない海外旅行で溜まっていたストレスの影響が、我々一行にも少しずつ現れだしたようだ。これまでも、ちょっとした口論などのトラブルもチラホラとは出ていたのだが、みんな中学以来の付き合いだし、もちろん大事に至ることは…

2日目:アユタヤ→バンコク

我々は、朝からチャリンコで世界遺産・アユタヤの街を観光した。アユタヤは街に遺跡が点在しているので、自転車で回るのが一番効率が良いのだ。これは、私が1999年に炎天下歩きまわって得た教訓である。 とは言え、そもそもの話で恐縮なのだが、このメンツに…

1日目:関西→ドンムアン→アユタヤ

3月というのに、夜明けの近鉄学園前駅は肌寒かった。「寒いな」そう言うと、ケンタロウは私の着ていた黒いポンチョを強奪して着込んだ。よく見ると、みんな軽装である。行き先のマレー半島がいくら暑いとは言え、これでは風邪をひいいてしまいかねない。「準…

中橋徳五郎『台湾視察談』

中橋徳五郎述, 安達朔寿記 『台湾視察談』 大阪, 安達朔寿, 明治32(1899)年, 16p.<本文>中橋徳五郎(1861-1934)は金沢生まれの官僚・政治家・実業家。 中橋は逓信省の鉄道局長を辞して大阪商船社長に就いたすぐの1898年と1899年、台湾の視察に出かけて…

出発前

卒業旅行。 それは、学生生活の打ち上げであり、就職前の前夜祭である。どっちにしても、<学生>という特権を振りかざしての「悪ふざけ」ということには変わりないのだが、誰しもが甘酸っぱい思い出とともに青春の一こまとして記憶している一大イベントであ…

#51

2006.8 Leh, Ladakh. 内部の成立のためには、まず外部が析出されなければならず、逆に、外部もまた内部を前提とせずには存在しえない。同様に、われらはかれらの存在によることなしにはわれらとして自己同一化しえず、かれらの創出をまってはじめて、われら…

岩本千綱・大三輪延弥『仏骨奉迎始末』

岩本千綱,大三輪延弥 『仏骨奉迎始末』 高知, 岩本千綱, 明治33(1900)年, 96p.<本文>『暹羅土産 仏骨奉迎』(気賀秋畝撮影, 京都, 仏骨奉迎写真発行所, 明治34(1901)年)で紹介したが、明治33(1900)年、タイ王国より日本に仏骨(シャカの遺骨の一部…

川上操六『印度支那視察大要』

川上操六 『印度支那視察大要』 明治30(1897)年, 46丁.<本文>本書は、川上操六(1848〜1899、当時陸軍参謀本部次長)が、明石元二郎、伊地知幸介、田中義一といった錚々たる顔ぶれの陸軍の士官を従えて行ったベトナム視察の報告書である。 日本は、日清…

生江孝之『欧米視察細民と救済』

生江孝之 『欧米視察細民と救済』 東京, 博文館, 明治45(1912)年.<本文>生江孝之(1867-1957)は、宮城県出身で、キリスト教を基盤にした社会事業家として知られる人物である。 青山学院退学後、宣教師の通訳などをしていた生江は、明治33(1900)年、友…

#50

2007.6 Ubud, Bali. <異人>とは実体概念ではなく、すぐれて関係概念である。<異人>表象=産出の場にあらわれるものは、実体としての<異人>ではなく関係としての<異人>、さらにいって<異人>としての関係である。ある種の社会的な関係の軋み、もしく…

#49

2004.3 Colombo, Sri Lanka. <異人>とは、それ以上さすらいはしないものの、<漂白>の自由を放棄したわけでもない潜在的な遍歴者である。 赤坂憲雄『異人論序説』 大きな地図で見る 異人論序説 (ちくま学芸文庫)作者: 赤坂憲雄出版社/メーカー: 筑摩書房…

徳江八郎『米国紀行』

徳江八郎 『米国紀行』 伊勢崎, 徳江八郎, 明治27(1894)年, 93p.<本文>徳江八郎は、群馬県伊勢崎に徳江製糸所を立ち上げた実業家。この旅行記は、徳江が伊勢崎の製糸業者を代表して、1893年のシカゴ万国博覧会への伊勢崎生糸の出品と併せてニューヨーク…

#48

2005.5 Yoyogi, Japan. <異人>とは、共同体が外部にむけて開いた窓であり、扉である。世界の裂けめにおかれた門、である。内と外・此岸と彼岸にわたされた橋、といってもよい。媒介のための装置としての窓・扉・門・橋。そして、境界をつかさどる<聖>な…