ラサにて(2)


 陽も傾いてきたので、ヤク・ホテルに戻った。
 部屋は清潔で、ベッドが5つ並んだドミトリー形式になっていた。相部屋になっていたのは、日本人の大学生の男2人組と、日本人とイギリス人の一人旅の女性がそれぞれ1人ずつの、合計4人。昨日の夜遅くに入ってきたのでまだろくに挨拶もしていなかったが、日本人の女性が、相手の状態に構わずのべつくまなく喋りたおす以外は、特に気になるところはない。
 部屋に入ろうとすると、開け放った入り口のベッドに腰をかけている長髪の日本人がいた。チベタンの民族衣装を着込んだ、なかなかの男前だ。どうやら同室の2人組とは顔見知りらしく、しきりにカッカと声を上げて笑いながら話し込んでいた。
 「軽薄そうなやつだな」と第一印象で一方的に判断した俺は、それには加わらずに、自分のベッドに寝そべって本を読むことにした。しばらくすると、長髪の男がやおら話かけてきた。
「こんにちは。俺、リュウっていいます。よかったら晩飯でも食いませんか?あいつ、体調崩してるみたいで。」
彼が指差した2人組のうち、一人―ノブといった―は、昨晩からずっと体調が悪いらしく、布団にくるまったまま出てきていない。もう一人―八角形のメガネをしていたのでハッカクと呼ばれていた―も、今日は部屋で大人しくしているという。
 俺としても断る理由はない。いいですよ、とつとめて冷静を装いつつ、即答した。何せ、これまでの1月あまりの旅で、日本人と飯を食うどころか、日本語で会話すらしてこなかったのだので、単純にうれしかった。ただ、第一印象のこともあるので、多少のもったいもつけたけど。
 リュウの案内で、ジョカン近くのチベタン食堂に入った。
 高度3500メートルで飲むビールは、まわるのも速い。リュウと二人で、モモ(チベット風蒸し餃子)をつまみながらラサ・ビールを飲んだ俺は、中瓶一本ですっかり酩酊してしまった。
 俺より一週間ほど先に中甸(香格裏拉)から飛行機でラサにやってきたというリュウは、喋らない方がモテるタイプの男前だ。勢い込んで自分が見聞したことを伝えようとするその様は、子どもが大人に一生懸命自分の想いを伝えようとしているようで、本人には悪いが、何とも微笑ましい絵になってしまう。
 最初はラサまで馬で来ようと思っていたこと。飛行機から見下ろした雪のチベット高原の美しさ。昨日見学してきたという鳥葬での生々しい人体解体の手順。大好きだというダイビングと海の話。麗江のディスコで見かけた、おかしなテンションで大はしゃぎする人民の話。今でこそチベタンのコートを羽織っているが、東南アジアから中国に上がってきたために冬支度がなく、最初はダイビングスーツを来て雲南を歩いていたこと…
 何のことはない。軽薄そうに見えたが、単なる変態だったのだ。
 大学を卒業して、特に期限を決めずに旅に出てきたらしい。インドまで下ってから、オーストラリアでダイビングの仕事でも探そうかな、という。旅の目的地が故郷ではなくまだ見ぬ異国の地だということに、旅が終われば家に帰るもんだとばかり思っていた俺は、新鮮な驚きを感じていた。
 食事が終わると、リュウはこう言って氷点下の夜のラサへと俺を連れ出した。
「ディスコに行こう!」
 変態の上に、大のディスコ好きでもあったのだ。漆黒の闇に覆われた人気のないラサの、いったい何処にディスコがあるのか俺には想像もつかなかったが、「ラサのディスコ」への好奇心は、眠気と疲労を軽く上回った。
 かくしてリュウの後について出てみたのだが、程なく後悔の念にかられることとなった。何のことはない。リュウはディスコの在り処どころか、そもそもディスコがこのラサにあるのどうかかさえ知らなかったのだ。
麗江にあるんだから、そりゃあラサにもあるでしょう」
そりゃあ何処かにはあるのかもしれないが、この寒さである。それでも、数少ない道行く人に
「ディスコ。分かんないかなぁ。こうやって踊ることころ。ほら(実演)。知らない?」
と尋ねまくった挙句、たどり着いたのは「民族舞踊ショー」の楽しめる高級そうなラウンジだった。さすがのリュウも「こりゃあディスコじゃねぇなぁ…」と断念せざるを得なかった。
 ともあれ、こうして俺は、極寒の夜の散歩と引き換えに、リュウという一風変わった「飯友」を見つけることができたのだった。