2日目:アユタヤ→バンコク

 我々は、朝からチャリンコで世界遺産・アユタヤの街を観光した。アユタヤは街に遺跡が点在しているので、自転車で回るのが一番効率が良いのだ。これは、私が1999年に炎天下歩きまわって得た教訓である。
 とは言え、そもそもの話で恐縮なのだが、このメンツに遺跡巡りなんか似合うわけもない。あいにくの小雨模様ということもあって、ものの数時間で切り上げることになった。
 しかし、事件が起きなかったわけではない。
 どこの寺院跡だったか記憶にないが、ケンタロウが土産物を売り歩いていた少女からミサンガを2つ買った。しかも、1つ100バーツというありえない値段設定である。「それでも言い値の300バーツからここまで値切った」と言い張っていたが、一年前にカンボジアで修行した成果が全くいかされていない。私につっこまれて、勝手に「あの少女は自分の学費を稼ぐために毎日働いている」と妄想を開陳した挙句、「健気な少女に寄付してあげたのだ!」とも強弁していたが、何をかいわんやである。
 こういったエピソードは、<アジア旅行の初心者レッスン>ということで珍しい話ではないが、我々卒業旅行ご一行もご多分に洩れなかったというわけだ。ついでに付け加えておくと、このあとケンタロウは、事情をよく飲み込んでいなかったヒロヤを言葉巧みに惑わせ、そのうちの1つを買値で転売するという暴挙に及んでいたが、この場合、売る方も買う方も、どっちもどっちである。

 アユタヤにおいて善行を積んだ(ことにしておく)我々は、鉄道に乗り込んだ。行先は、ヒロヤに言わせると「汚い空気、ひどい渋滞、よどんだ空」のバンコクである。ヒサシが「これからねむらない街“カオサン”にLet's Go」なんて浮かれていたが、5人の頭は、すっかりネオンに照らされた煩悩でいっぱいだったのだ。
 バンコクの宿は、ベタにバックパッカ―の集まるカオサン通り。ダンス音楽がガンガンかかり、そこを世界各国から集まった旅行者が同じような顔と恰好をしながら闊歩する異空間である。私以外のメンバーは少なからずカルチャーショックを受けていたようだった。
 本来なら、この夜のことを克明に書きたいところなのだが、なにせ7年も前のこと。残念ながら、記憶も記録もあんまり残っていない。到着したのが夕方だったせいか、あんまり条件の良いホテルは見つからなかったこと、通りの外れで食べた焼きソバが美味かったことくらいしか書くことがないが、そこはご容赦いただきたいと思う。
 さて、卒業旅行組の4人がそれぞれ思い思いの旅を楽しんでいたころ、唯一の春休みの旅行組のシゲオはこう言っていた。
「<自分探し>で頭がいっぱいで旅に集中できない。僕は<自分探し>の旅を続けるだろう」
 これまた、何をかいわんや、である。