2008-09-01から1ヶ月間の記事一覧

石垣島

俺と伊毛打と蛇化未禰の3人が石垣島の空港に着いたのは、昼過ぎだった。こじんまりとした空港を出て、離島桟橋に向けてタクシーに乗り込む。初乗りが390円ということに驚いたのも束の間、運転手のおじいが妙なことを言い出した。 「車で少し行ったところに、…

岩永六一『台湾言語集』

岩永六一 『台湾言語集』 大阪, 中村鍾美堂, 明治28(1895)年, 83p.<本文>1895年4月の下関条約によって台湾が日本領となることが日本と清の間で取り決められた直後、日本は台湾に軍隊を進め、台湾を植民地化した。 そこで派遣された軍隊の一つ混成枝隊(…

緒方惟孝『魯語箋』

緒方惟孝 『魯語箋』 函館, 開拓使, 1873(明治6)年.<本文>緒方惟孝(1845-1905)という人物をご存知だろうか? 大阪薬剤師会会頭も務めたこともある明治時代の大阪の名士である、と言っても殆どの人は知らないだろう。むしろ父親の方が有名かもしれない…

写真展「鴻爪」@阿佐ヶ谷

少し先の話ですが、昨年度に引き続き、地元阿佐ヶ谷にて写真展を(身の程知らずにも)開催します。 「鴻爪−KOUSOU」 期間 :11月1日(土)〜15日(土) 9:00-21:00 場所 :コイデカメラ阿佐ヶ谷店フォトスペース * Art work by trinograph ここ10年間…

末広鉄腸『北征録』

末広鉄腸 『北征録』 東京, 青木嵩山堂, 明治26(1893)年, 131p.<本文>末広鉄腸(重恭、1849-1896)は、政治小説で名を上げ、遂には衆議院議員にまでなった人物である(明治23年の第1回衆議院議員選挙で当選)。 末広は、明治21年から22年にかけて米欧へ…

村田清平『蒙古語独修』

村田清平 『蒙古語独修』 東京, 岡崎屋書店, 明治43年(定価25銭).<本文>日露戦争後の日本の日本にとってのモンゴル(蒙古)の重要性は、ここで語るまでもないことだろう。しかし、モンゴル語は日本人に馴染みづらかったのか、他の言葉でもある程度は代用…

中央アジア学フォーラム 2008/9/20

2008/9/20の中央アジア学フォーラムでの発表レジュメ(資料紹介)を転載します。 http://www.let.osaka-u.ac.jp/toyosi/caf/caf-j.html 【資料紹介】 山西省北朝文化研究中心、張慶捷、李書吉、李鋼(編)『4-6世紀的北中国与欧亜大陸』、科学出版社、2006年…

「卒業旅行」持っていった本

海の帝国―アジアをどう考えるか (中公新書)作者: 白石隆出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2000/09/01メディア: 新書購入: 1人 クリック: 8回この商品を含むブログ (16件) を見る

「男三人旅」持っていった本

岩波講座 東南アジア史〈2〉東南アジア古代国家の成立と展開作者: 池端雪浦,石澤良昭,後藤乾一,桜井由躬雄,山本達郎,石井米雄,加納啓良,斎藤照子,末広昭出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2001/07/30メディア: 単行本 クリック: 1回この商品を含むブログを見…

「卒業旅行」持っていった本

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)作者: H.D.ソロー,Henry David Thoreau,飯田実出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1995/09/18メディア: 文庫購入: 5人 クリック: 66回この商品を含むブログ (54件) を見る森の生活〈下〉ウォールデン (岩波文庫)作者: H…

「初の海外一人旅」持っていった本

トム・ジョウンズ〈1〉 (岩波文庫)作者: フィールディング,Henry Fielding,朱牟田夏雄出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1975/06/16メディア: 文庫 クリック: 7回この商品を含むブログ (13件) を見る中原中也詩集 (ハルキ文庫)作者: 中原中也出版社/メーカー…

シンガポール〜帰国

3/14、15:30、バスはジョホール水道を抜けてシンガポールに入った。3年半ぶりのシンガポール。相変わらずキレイな国だ。タイでは、家の先には皮膚病にかかった犬が店先で一日中ゴロゴロしていたし、少し路地裏に入れば鶏が跳ねていた。マレーシアでは猫が目…

マラッカ(2)

次の日(3/13)、やることは何も無かった。たいがいの見る所は全て見た。ロビーでボーっとTVを見ていたら、管理人さんが「映画でも見てきな」と言って新聞を投げて寄こした。15:15からスーザン・サランドンとジュリア・ロバーツの“STEP MOM”をやる映画館が一番…

マラッカ(1)

次の日、午前中にマラッカに着いた。バスでは死んだ様に寝た。というのも、昨夜は一晩中、背中がかゆくて眠れなかったのだ。原因はカパス島で日焼け止めを塗らずに泳いだこと。カパスのツケは以外に速くやってきたようだ。朝、鏡で背中を見ると、ベロベロに…

バトゥ・パハ

クアラ・トレンガヌに戻ったのは12:00頃だった。B.S.の側のクーラーのきいたショッピングセンターの中のハンバーガーショップでチキンバーガーをほお張った。Kはクアンタンに行くという。僕はバトゥ・パハに行こうと思っていた。「お別れやな」「でもマラッカ…

プラウ・カパス(2)

4:00すぎには切り上げて、バンガローへ戻った。オフシーズンで暇そうなビーチボーイ達とビーチで蹴鞠をして、自分の下手さ加減を暴露してから、シャワーを浴びた。と、その時、向こう岸にクアラ・トレンガヌの方から重たい雲が急に湧き起って15分もしないうち…

プラウ・カパス(1)

B.S.で朝食を済ませた。マレーシアのB.S.は数多くの屋台や日用品店が入った、大きなショッピングセンターといった感じで、街の中心であり、マレーシアに於けるバスの占める位置の高さが窺える。 60分程で、カパス島(プラウ=島)へのボートの出る小さな漁村…

クアラ・トレンガヌ(2)

次の日、朝に弱い2人を残して9:00に出発して、この地方で一番美しいモスクと評判のフローティング・モスクに入ってみた。バスで30分程、海岸沿いに行った所にあるこのモスクは綺麗に整備されていて、公園みたいになっていた。モスクは初めてだったので、最初…

依光方成『三圓五十銭世界周遊実記』

依光方成 『三圓五十銭世界周遊実記』 東京, 博聞館, 明治24年(1891年), 214p.<本文>明治の貧乏旅行者と言えば、中村直吉や、ここでも以前に紹介した中村春吉が比較的有名だけれども、貧乏旅行ということでは二人の先輩になる土佐出身の依光方成も忘れては…

クアラ・トレンガヌ(1)

「ハーイ!」コタバルのマクドでマレーシアオリジナルのチリバーガーを食べていると、白人女性バックパッカーがしゃべりかけてきた。「どこへ行くの?」「僕はクアラ・トレンガヌへ」昨日、De999 G.H.に置いてある「歩き方」を読んでいて、この“クアラ・トレン…

コタバル

マレーシアの国境側の街はランタウ・パンジャンという舌のかみそうな名である。さすが国境側の街、バーツも使える。時計も一時間進ませなければいけない。バーツをマレーシアドル(M$)に替えた。レートは良くなかったが、これがないとバスには乗れない。それ…

ソンクラー

ソンクラーでは、全くと言っていい位、何もしなかった。朝はG.H.の側の喫茶店で揚げパンと激甘コーヒー(2日目は、僕の顔を見ただけでこれが出てきた)を食し、少し休憩した後、本を片手に1km程離れたサミラビーチへ行く。昼過ぎまで木陰のベンチで寝転んで…

バンコク(2)

5:00過ぎ、6:00スコータイホテルとかいう高級ホテルでの待ち合せに行く為、やっぱりG.H.の前で客引きしていたトゥクトゥクに乗った。はっきり言って体調は最低で、ゴチソウどころか何一つ食べたくなかった。「よりによって今日かよ」正直な感想だ。 ディナー…

バンコク(1)

朝4:00、バンコク着。J大生と別れ、地図で近くに見えたバン・スーJC駅へ歩いて行こうと思ったが、誰に聞いても「遠いからやめとけ」と言うし、暗くて方角も分からない。仕方なくバイクタクシーで駅まで行くことにした。45Bまでしか値切れなかったが、走った…

チェンセーン(3)

G.H.に戻ると、日本人の男3人連れがいた。きけば、J大生で、明日同じバスでバンコクへ行くという。小一時間とりとめもない話をした後、明日の早朝、朝日を見に行きませんか、と誘ってみた。起きれたら行く、という返事を貰って寝た。 6:30過ぎに、例の展望…

ゴールデン・トライアングル

9:00頃、G.T.へソンテウで出かけた。約30分。今回の旅の北部での最大の目玉だったので、かなり気合を入れていったが、昨夜のK大生の「期待する程のものじゃないよ」の言葉通りだった。ソンテウを降りて近くの岡を登っていくと、展望台になっていて、古びた…

チェンセーン(2)

やっとこさ寺(ワット・プラタート・チョーム・キティ)に着いた。地方の名刹、といった感じで非常に落ち着いた雰囲気だった。チェンセーンの街、メコンを望む素晴しい眺め、そよ風の絶えない木陰、どれをとっても最高だった。着いたのは12:00頃だったが、昼寝…

チェンセーン(1)

チェンライからバスに揺られること1時間、チェンセーンはチェンライより更に僕好みだった。つまり田舎だったのだ。セブンイレブンも無い程の。田舎とは言っても、かの有名なゴールデン・トライアングル(G.T.)まで9kmの所に位置しており、G.T.へのボートツア…

メーサイ〜タチレク

G.H.へ戻ってホットシャワー(!)を浴びてすぐ、例のお気に入りのカフェで朝食をとり、ミャンマー国境の街、メーサイ行きのバスに乗った。本来ならツーリストInnを出てメーサイ――ミャンマー国境の街というより村――へ宿を移すつもりだったのだが、チェンライ…

チェンライ

スーパーハイウェイを抜けて、バスで3時間。チェンライは期待通り、何も無い街だった。強いて挙げるなら、ワット・ドン・ムアンのオチャメな大仏様位。その仏様でさえ、見たら終わり、という感じだった。宿であるツーリストInn(日本人経営)で、日本語の本を…