マラッカ(1)

 次の日、午前中にマラッカに着いた。バスでは死んだ様に寝た。というのも、昨夜は一晩中、背中がかゆくて眠れなかったのだ。原因はカパス島で日焼け止めを塗らずに泳いだこと。カパスのツケは以外に速くやってきたようだ。朝、鏡で背中を見ると、ベロベロに皮がめくれていた。

 B.S.でウロウロしていた日本人3人をつかまえて、4人でタクシー1台に乗った。これなら1人2M$。G.H.の多いタマン・マラッカ・ラヤ地域は街外れにあるのだ。タクシーを降りて暫く行くと、ユースホステルがあった。ドミトリーを嫌がる3人と別れてチェックイン。料金は3泊分前払いで24M$。安全面では最高だし、何より清潔だった。ドミには1人先客がいるようだった。
 すぐ街へ出た。マレーシアでの目的地、マラッカ。僕はまたまた期待しすぎていた様だ。また想像を裏切られて、勝手にショックを受けた。相変わらず進歩が無い。スタダイスやセント・ポールの丘のまわりは修学旅行生など、人間で一杯だった。今までまわった中で、一番観光地としては無様な姿を曝していた。僕はチェンセーンを思い出した。あの街は古い遺跡は多いが、何分田舎のことで、ろくに保護されてもおらず、人家の庭先に古い仏塔の残骸が転がっていたりした。その遺跡は完全に死んで、人の生活の一部にとりこまれていた。マラッカとはあまりに対照的だった。おまけに、沢木耕太郎絶賛のマラッカの夕陽も、曇りでさっぱりだった。
 次の日、ユースホステルでチャリンコを借りて、マラッカ市内の、有名無名を問わず、観光名所(チャイナタウン以外)を殆ど周ったが、全く気分が乗ってこなかった。更にポルトガル村(ポルトガル人の子孫らしいが、どっから見てもマレー系な人々が住んでる所)で見た日本人が最悪だった。別に彼は、悪いことをしたわけではない(僕の一方的な印象だ)。彼はただ、でっかいカメラを首からぶらさげ、物珍しげに民家をパチリパチリやっていただけだった。でも、それが僕にはひどく卑しく見えたのだ。

 次いで、チャイナタウンに行った。狭い路地でも、バス、車、何でも通り抜けていく。ここは“観光地の活気”で賑わっていた。しかし、その裏から中国人独特の“生活臭”は伝わってきた。喧騒。正にその言葉がぴったりだった。
 チャイナタウンのど真ん中にヒンドゥー寺院があった。しかも中国人がお参りしている。しかもその隣はモスクだった。50m先には寺院もある。何て所だ。僕は訳も無く感動し、そして納得した。「中国人のエネルギーはこのこだわりのなさに源があるのだ」意味不明。モスクに入ってみた。モスクにしては珍しい緑色の屋根、木造。思わず「ナイス・センス!」と言ってしまった。そして中に入った時、音がやんだ。外の喧騒が聞こえなくなった。何か、外の空気と遮断された、独特の空間があった。境内の中に信徒の人家があり、そこから出てきたムスリム帽をかぶった男が微笑みかけてきた。「静かですね」男はうなずいた。