国立国会図書館所蔵太湖庁檔案(メモ)

最終更新日2023/6/10

概要

  • 檔案とは、中国の政府機関が政務運営のために発行・保管してきた文書。このうち、地方の行政機関の檔案(地方檔案)は、為政者の事情にかかわらず地方行政手続きがそのまま記録されている場合が多く、何らかの事柄を後世に伝えることを意図して編纂されたその他の歴史文献と比して、その資料的価値は高い。しかし、所蔵地が分散され、また閲覧にも様々な制約が伴うため、まだまだその活用は十分ではない。[山本1999][山本2019]
  • 蘇州府(江蘇省)の太湖流域を専門的に管轄するために設置された散庁(行政機関。州県を設置するには不適当な新開地等に置かれる)である太湖庁(太湖撫民府、太湖理民府ともいう)の檔案(公文書)で、国立国会図書館には「太湖理民府文件」(31件498葉)として所蔵。[夫馬1993][岸本1994][太田2021]
  • 戦前、東亜研究所が中国本土で収集した漢籍コレクションに含まれていたものとみられ、昭和24(1949)年に国立国会図書館が同研究所の後継である政治経済研究所から購入したものに含まれていたと思われる。[福島2018]
  • 南京博物院にも50件(確定数。未確定のものを含めれば110件超となる。ただし一般非公開)が所蔵されている。国立国会図書館所蔵が1866-1911年であるのに対し、南京博物院所蔵は1803-1876年。[范2003][山本2019]
  • 決して大部なコレクションではないが、清代地方衙門の檔案で日本国内の研究機関で「多少ともまとまった形で」収蔵されているものは本件のみ。また、残っている洞庭山地方の檔案も本件のみ。[岸本1994][山本1999]
  • 現存する太湖庁檔案のうち、訴訟・裁判に関するものが多くを占める(国立国会図書館所蔵21/31:1869-1911、南京博物院所蔵46/50:1803-1852)ことから、江南郷村社会を知るうえでの貴重な情報源と言える。[范2003][山本2019]
  • 太湖庁の管轄は太湖に突き出た「東山」と湖上の島である「西山」。雍正8(1730)年に水利を治めるために呉県同里鎮に設置された太湖同知が、雍正13(1735)年に洞庭東山に移駐され、盗賊等の逮捕とともに東山の民事も統括することとなった。州・県と同レベルである太湖庁には、初審の案件が持ち込まれており、そのうちの一部が残されている。[夫馬1993][岸本1994]
  • 太湖庁は乾隆12(1747)年以降、太湖中の島々の田賦徴収も司ることになった(ただし、乾隆40(1775)年からは西山のみ呉県の管轄となった)。このため、備荒のための積穀の運営、銭糧徴取の具体的な手続、糧価の定期報告、太湖の救生船(水難事故の救助制度)、太湖庁付設の司獄司の役食銀といった行政文書も含まれている。[岸本1994]
  • とりわけ糧価の定期報告について、太湖庁管内の糧価報告の原文書80点余が含まれている。清代中期以降、全土をカバーする大規模な穀物価格報告制度が整備されており、州県レベルでの穀物価格調査がどのように行われ、そしてどのような形式で府に報告されたのかをうかがうことができる。[岸本1994]
  • 当時有数の商人集団であった洞庭商人(商帮)の具体的な活動の一端も窺うことができる。[范2002][范2003]

国立国会図書館所蔵分の目録及び概要

  • 第一、二 藩憲札飭會委稽查積穀案內寔存各數裏復由光緒八年至十八年 ※1882-1892年

災害用の穀物備蓄のため、管内の地保(郷村における警察、銭糧管理、調停、契約保証、推理監督等を担う)に対して徴税原簿に基づく册串単簿への記入を命じる通達や、銀銭比價の掲示・監督等を命じる太湖同知・傅懐祖の文書が含まれる。[山本1999][范2003]

  • 第三   藩憲飭查晴雨日期米粮洋價稟報宣統元年正月至三年五月分 ※1909-1911年

執筆者は書吏の薛継述(上司のチェックも入っている)。10日ごとに気候状況、米価、銀元価格を報告(3-1)。実際に上級衙門(府と布政司)に送られたものではなく、その草稿。しかし、価格が銀両建価格になっていないことや、大豆や黄豆の価格が記されていないことなど、内容不備の叱責を度々受けていることもうかがえる(3-37,50,60,62)。また、叱責に対する弁明も残されている(3-63)。他省の例などと照らしても、太湖庁は書吏が少ないことから事務を簡略に済ませることが常態化していたらしい。また、管内に銀行や銭店がなく銀価を報告する術がないといった、太湖庁ならではの事情もうかがえる(5-2)。なお、宣統2(1910)年に全国的に米価高騰が問題(不作ではなく貨幣制度の混乱に起因)となり、太湖庁管内でもおおよそ似たような価格変動の推移を見せている。太湖庁が清末になってようやく報告の不備を叱責されているのも、こういった緊迫した世情が背景にあるかもしれない。[岸本1994]

  • 第四   銀錢市價具報宣統二年十二月 ※1910年

各種貨幣の比価の調査を命じたもの。度支部の命による基礎的調査事業の一環か。[岸本1994]

  • 第五   典牌洋價具報宣統三年二月 ※1911年
  • 第六   太湖救生義擧草創文件光緒二年十一月至六年六月 ※1876-1880年

太湖の船舶事故の被災者救済等目的と舌を民間慈善施設である救生公所に関する文書で、申請手続きや必要経費等の実態がうかがえるもの。[范2003]

  • 第七   司獄司呈申請役食銀兩由光緒二十五年二月・三月至三十四年の冬季分 ※1899-1908年

太湖庁の司獄司が同知に対して銀立ての給金?(役銀)の支払を求めるもの。[范2003]

  • 第八   白浮頭等處私設漁籪淤佔草蕩令業戶剷除事光緒十二年至十五年 ※1886-1889年

太湖庁と呉県との境界にある白浮頭(湖名)に、無断で設けられた魚簾等の養魚用施設(竹でつくった柵などの囲い)や生い茂った水草のため船舶の通行に不便な場所があることから、これらを全て撤去したうえで、現地見取り図と、今後はこうした施設を設置しない旨の誓約書を付して報告するよう、太湖同知・陳章錫から司獄司(太湖庁従九品)・蕩差(治安を司る郷村役)に命じたもの。実際に現場で撤去を命じられているのは、蕩頭・漁戸・地保(沈正興、秦信和らの名前が見える)。他に、圖董・秦景福や地保・呉紫塘らによる盗賊取り締まりの要望書なども含まれる。乾隆年間より定期的(年2回)に行われていた模様。[山本1999][范2003][太田2021]

  • 第九   雜文件

6種類の雑文書で、光緒2年に太湖庁から蘇州府に送られた通牒(の下書き)が含まれている。[范2003]

  • 第十   永遠杜絕賣坟前餘地文契附太湖廳契尾同治五年九月 ※1866年
  • 第十一  周晉卿呈控龔正林短給修金扣留行李等情一案同治八年二月 ※1869年

庶民で染坊店で働く周晉卿が自身の主人である龔正林に対し、給金を使い込んだことを理由に龔が周の荷物を差し押さえたことを訴えたもの。両者の居住する圖の地保である陸明祥と沈在明も供述している。原告が提出した告状を欠く。[夫馬1993][山本1999]

  • 第十二  宋惟勳呈控姜鳳林等糾衆兇毆等情一案同治九年七月 ※1870年

宋惟勲が「逞酒糾擾」「糾衆兇殺」のかどで姜鳳林ら4人を訴えたもので、官代書の程仁が代筆している。付された関連文書は、太湖庁の役人である樊鍾秀が被告や証人、原告、地保の連行を命じた命令書や、被告3名の連名で出された訴状(反論)、値日役(差役)の顧仁が関係者が揃った旨を復命した文書、そして尋問調書とそこに付された堂諭(判決文)が入っている。事件発生が6/24,26で、6/28に訴訟・裁判が開始され、7/18に結審している(結果は、宋が誣告を認めたことにより原告の敗訴)。[夫馬1993][山本1999]

  • 第十三  姚永昌將方單向身借朱姓錢文屢催掯贖等情一案同治九年十一月 ※1870年

太湖庁の郭鳳による地保・姚永昌の行状(借金の返済拒否)についての報告書。[山本1999]

  • 第十四  柴肅卿呈控葉元寶掯還借項陳德福扛帮兇毆等情一案同治十年二月 1871年

庶民である柴肅卿が同じ村に住む葉元寶に対し、葉が借金の返済を迫るとともに隣人の陳德福と結託して暴力を振るったとして訴えたもの。調停役の地保・唐心田も召喚されている。[山本1999]

  • 第十五  金奎呈控湯正隆阿如等眛良串吞盜賣山地等情一案同治十年三月 1871年

差役・金奎が同じ村に住む湯正隆に対し、湯が共謀して金の山地を盗売したとして訴えたもの(当該山地は、湯が金の父から借金する際の抵当としたものらしい)。正印官が原告が証拠書類として提出した契約文書を告状に糊付けせよと命じているが、なされていない。[夫馬1993][山本1999]

  • 第十六  胡張氏呈控朱永錫等恃衆拳毆伊夫胡正祥受傷請騐等情一案同治十年三月 1871年

胡張氏が永錫等数人に対し、彼らが彼女の夫・胡正祥に暴力を振るったとして訴えたもの。地保・秦信和も召喚されている。[山本1999]

  • 第十七  蔡啓祥呈控營辦金友良擅將伊行門關閉又將伊行大秤踏斷等情一案同治十一年四月 ※1872年
  • 第十八  汪世隆呈控金阿祥卽金茂林逞兇毆傷身夫婦等情一案同治十一年七月 ※1872年
  • 第十九  張文均呈控葉天如聳妾加找房價等情一案同治十一年九月 ※1872年

監生・張文均が葉天如に対し、売買契約を結んだ家屋に葉天如の妾が勝手に「找價」(既に売った物件について、売り手が買い手に対して価格の足し前を要求すること)を加えるのを許したことを訴えたもの。被告が出頭を拒む事情を地保・印茂安らが報告している。「找價」に起因する訴訟事例は多く見られるものの、通常、「找價」が認められるケースは多くない。しかしこの場合は、売り手の老齢と貧困を哀れんで、「找價」を支払う理由がないとしながらも、支払を命じている。[岸本1997][山本1999]

  • 第二十  姚永昌等呈控姚順芳同妻姚朱氏連次辱罵不許開濬後漾等情一案同治十二年五月 1873年

地保・姚永昌が連名で姚順芳夫妻に対し、彼らが圖内の水田の浚渫を許さなかったために泥で塞がってしまったことを訴えたもの。[山本1999]

  • 第二十一 周國賓稟席洪昇捏造誣控乞恩提究事案同治十二年九月 1873年

経造(徴税請負人)・席洪昇が周國賓に対し、周が他人の家屋を壊して売却しようとしていることを報告するもの。地保・鄭少蘭や原差・郭鳳も召喚されている。[山本1999]

  • 第二十二 張蔡氏呈控嗣子時華不得於所後之親呈請易立等情一案同治十二年九月 1873年

張蔡氏(43歳)が素行不良を理由に、甥で養子の張樹(時)華と養子契約(ただし契約書はない)を破棄し、樹華の別の兄弟を後継としたいと申し出たもの。地保・唐心田も召喚されている。訴えは受理されたが、審議の結果、張蔡氏は敗訴した。[山本1999][臼井2015]

  • 第二十三 夏國祥呈控芮茂興挾仇毆傷胞姪夏阿和等情一案光緒元年六月 ※1875年

夏國祥(67歳)という庶民が、甥の夏阿和が隣人・芮茂興(30歳)ら5人から逆恨みの末に集団リンチを受けて重傷を負った事件について調査を求めた告状(23-1)、被告である芮茂興が一部容疑を否認する訴状(23-4)、喚問のため地保・姚永昌を含む関係者を召喚する牌(下行文、23-7)が含まれる。最初、芮が夏の桑葉を盗んで捕らえられた際、姚がえこひいきして芮を釈放したことが発端。[山本1999][山本2019]

  • 第二十四 鄭吳氏等呈控夫族兄鄭衡堂吞沒會銀等情一案光緒元年十一月 ※1875年

鄭呉氏らが同じ圖内に住む親族の鄭衡堂に対し、鄭が廟会費を横領したことを訴えたもの。地保の萬正芳・呉雲祥・萬晴山も立会人として出頭している。[山本1999]

  • 第二十五 萬順昌呈控妻母韓鄭氏縱女捲逃等情一案光緒二年一月 ※1876年

萬順昌(38歳)という庶民が、10年来連れ添ってきた妻・萬韓氏(26歳)が萬の不在中(上海に出稼ぎに行っていた)に行方不明となったことを太湖庁に訴え出た際の文書類。萬順昌の供述書(25-4-1,25-5-6)、行方不明となっていた4か月の間、萬韓氏と行動を共にしていた(しかし姦淫の事実は否定する)萬韓氏の幼馴染で皮革職人の林阿才(21歳)の供述書(25-5-1)、(同様に姦淫の事実を否定する)萬韓氏の供述書(25-5-2)、(娘に逃亡をけしかけたとされる)萬韓氏の母・韓鄭氏の供述書(25-5-3,25-8-2)、同じく弟・韓阿二(16歳)の供述書(25-5-4,25-8-1)、林阿才の師匠にあたる馮啓祥の供述書(25-5-5)、2人を追尾した金阿燿の供述書(25-5-7,25-19-1)、地保・秦信和(25-8-3)及び周正和(25-14-1)の供述書などが含まれる。[山本1999][臼井2015][落合2021]

  • 第二十六 沈英道呈控沈阿巧事不干已將伊等扭毆等情一案光緒二年五月 ※1876年
  • 第二十七 陳金氏呈控王銀寶袁錦奎威逼伊夫陳順添自刎等情一案光緒二年五月 ※1876年

陳金氏が王銀寶・袁錦奎に対し、夫・陳順添を脅して自殺させたことを訴えるもの。地保・秦信和も召喚されている。[山本1999]

  • 第二十八 兪金氏呈控蔣春德用刀戳傷伊孫兪鳴和左腿受傷等情一案光緒二年五月 ※1876年

西山の六村に住む兪金氏(61歳)が村内で煙館(阿片館)を開いて賭博を生業とする蔣春德(46歳)に対し、4月21日の夜に蔣が彼女の孫で桑葉売りの兪鳴和を傷害したことを訴えるもの(28-5-1)。蔣は自身の妻王氏との密通を疑ってのものと主張している(28-5-6、28-9-4)が、兪鳴和は密通を否定している(28-5-3)。また、証人として召喚された兪勝高(32歳。28-5-2、28-9-1)、胡徳和(28-5-4)、湯徳和(28-5-5)といった村内の庶民や地保・唐心田(28-5-7、28-9-2)は「知らない」などと証言し、否定も肯定もしていない。結局、密通を疑われた兪も、傷害事件を起こした蔣も、ともに処罰された(28-9-5)。[山本1999][落合2022]

  • 第二十九 葉長藻稟惡棍周錦祥打燬卓橙等情一案光緒二年五月 ※1876年

正二官・葉長藻の親族・葉升が同村内の惡棍・周錦祥に対し、周が他人に貸していた店の什器を破壊したことを訴えたもの。地保・印茂安も召喚されている。[山本1999]

  • 第三十  卜坤元呈控馬寄方賄串船戶拐妻逃匿等情一案光緒二年十一月 ※1876年

庶民の卜坤元が同村内の馬寄方に対し、村内の船戸と結託して卜の妻を誘拐したとして訴えたもの。地保・馬士青も召喚されている。[山本1999]

  • 第三十一 芮王氏呈控陸永才缺祖掯還等情一案光緒二年十一月 ※1876年

若くして寡婦となった芮王氏(72歳)が、50年間働いて貯めた自らの老後資金から陸永才(39歳)に貸した金を返してもらえないことを訴えたもの(31-5-1)。貧しくて返金できないという陸の弁明(31-5-2)と、両者の間の調停を行っている地保の夏国堂による陸を糾弾する旨の供述(31-5-3)、そして陸に鞭打ちとただちの借金返済を命じる判決文(堂諭)(31-5-4)も残されている。[臼井2015][落合2020]

南京博物院所蔵分の目録

※1949年以後に蘇州府東山鎮の官宅から発見されたらしい。[中島1999]

  • 南博2120:太湖理民府据●鼎揚控除順覌等強伐坟樹案[范2003]
  • 南博2130:嘉定県為調査城鎮土店及逐日售土数目文[范2003]
  • 南博2135:華亭県据李良逵稟請提追高合茂等欠款案[范2003]
  • 南博2137:嘉定県為詳請揚焦昱発捐建義庄田産案[范2003]
  • 南博2138:華亭県据陸樹徳控倪福慶等抗繳田単案[范2003]
  • 南博2139:華亭県転据邵錫瓚控関于汪殿琿二百元借款案[范2003]
  • 南博2141:寡婦丁孔氏稟乞准給孤貧口粮[范2003]
  • 南博2144:太湖理民府為浙省改建魚鱗石塘采為条石案[范2003]
  • 南博2145:嘉定県為開設界涇所需経費案[范2003]
  • 南博2146:呉長元三県塩商潘宏昌等為疏銷章程案[范2003]
  • 南博2159:嘉定県為太属中学堂経費案[范2003]
  • 南博2161,2162:詞訟積案册稿[范20003]
  • 南博2167:嘉定県据楊浩文控胡文伯図呑票洋会銭案[范20003]
  • 南博2168:嘉定県照会震川学堂認真監督修築宿舎案[范2003]
  • 南博2175:呉県函教堂司将被●控之蒋阿小等交回訊断案[范2003]
  • 南博2183:呉県為九都二、三圖客民与土民塁争案[范2003]
  • 南博2184:呉県為富強戒烟善会稟免房捐案[范2003]
  • 南博2187:華亭県為典商増取利息案[范2003]
  • 南博2189:華亭県為推広城団経費稟文[范2003]

参考文献