関東大震災と敦煌文献(メモ)

内務省社会局編『大正震災志』下, 東京, 内務省社会局, 1926年.

附録 第一篇 藝術品並に史的古物及古典籍の損害

菊地長四郎氏(元濱町)は、火勢の遂にいかんともすべからざる窮極に立ち至るや、新獲の蘇東坡寒食帖の一巻と、李公麟瀟湘臥圖巻、崋山于公高門圖、同湖石白猫圖の四點を携へて危難を避け、次で壁上の草坪六祖圖を取出し來たものがあって、都合五品は救ひ出されたが、其他無慮幾萬の書畫文房具典籍は挙げて祝融氏の蹂躙に委してしまった。其の細目は未だ調査の途中にあるから、今左に其の一班を録して、異日の大成に資することとする。

敦煌石室本法華玄義一巻(…以下略)

大倉集古館(葵町)は、男爵大倉喜八郎氏が明治十年前後の頃から蒐集した東洋古物を、大正六年の秋に、財團法人の博物館となして、同七年五月から公開したものであつた。同館は豫て防火設備として屋上に水道を引いてあつたがさうだが、今度の震火災には何等の効能もなくて、陳列館と事務所とを一夜の煙と化してしまつた。

同館の建築物は元来公開的の陳列館として設計されたものでないが爲に、廊下などの多い複雑なる構造であつたが、大體に於ては第一號から第三號までの三館から成るものであつた。その三號館の階下には桂昌院の霊廟があつた。桂昌院は即ち五代将軍綱吉の生母で、其廟は芝増上寺境内にあつたが、明治の初年頃大倉氏の購ひ取て保存せられてあつたのを、此館新築の時に、其規模を縮小して階下に仕組んだもので、内陣の壁画唐獅子蓮華圖は常信一派の筆に成つたものであつた。此の霊廟内に安置してあつた金銅釈迦坐像と迦葉、阿難の立像はもと北京の萬壽山にあつたものであつたが、いづれも廟もろともに■鎔けてしまつた。又同館階上の一室に上段の間というのがあつた。之は京都伏見の興正寺に傳つてゐた桃山城遺構の一部分で、床壁の帝鑑圖説の圖、帳臺篩の鶴の圖、襖の梅竹の圖などは鳳の快闊なるものであつた。次に構内の西北隅■南阪に添うた高處にあつた資善堂はもと京城景福宮一宇で、朝鮮建築の標本と見るべきものであつた。以上悉く灰塵に歸して、残つたのは倉庫と表門だけである。

集古館の蔵品は總和四千四百六十六點であつた。其内倉庫にあつたものと、火事の際努力して救出されたものと、又火災に罹つたが修理して復活の見込あるものと概數約一千百七十點あるから、之を除いて約三千三百點が全く焼亡したわけである。

さて其蔵品の種別は、第一が東洋諸國の佛像道像の類が中心で、其他は概ね東洋諸國の工藝品である。即ち日本の蒔絵品、支那の堆朱品、石佛、銅佛、古銅器、墓(石+専)、陶俑等で、絵畫は最も少なかつた。

(…中略…)

書畫類は比較的少く、總て約三百點に過ぎなかつた。此館を美術館と称せなかつた、所以は職として是にあるのだ。書蹟では燉煌石室發掘の寫經二十四巻あつた。其書目は、

一妙法蓮華經二巻、穀紙墨字、隋時代 一大般涅槃經二巻、同同 一妙法蓮華經六巻、同唐時代 一同一巻、黄麻紙墨字同 一佛名經巻第八、穀紙墨字、同 一佛説賢劫十方千五百佛名經、同、同 一維摩詰經巻上、同、同 一大般若波羅蜜多經二巻、同、同 一金剛般若波羅蜜多經二巻、同、同 一説一切有部集異門足論巻第九、同、同 一法集經巻第一、同、同 一大般涅槃經巻第五、同、同 一妙法蓮華経巻第一、同、同 一金光明最勝王經二巻、同同

(…以下略)

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(註)『大倉集古館陳列品目録』(大倉集古館, 1918)所蔵リスト。

1284 妙法蓮華經巻第三(燉煌石室發見) 薬諭品第五後半 授記品第六 化城諭品第七 黄麻紙墨字 一巻 支那 隋時代

1285 同巻第四(同) 見寶塔品第十一 白麻紙墨字 一巻 同 唐時代

1286 妙法蓮華經巻第四(同) 五百弟子受記品第八 授學无學人記品第九 黄麻紙墨字 一巻 支那 唐時代

1287 同(燉煌石室發見)巻第四 法師品第十 見寶塔品第十一/巻第五 提婆達多品第十二 勤持品第十三 同 一巻 同 同上

1288 同巻第四(同) 授學无學人記品第九後半 法師品第十 同 一巻 同 同上

1289 同巻第五(同) 提婆達多品第十二後半 勤持品第十三 同 一巻 同 隋時代

1290 同 上(同) 安樂行品第十四 從地涌出品第十五 同 一巻 同上

1291 同 巻第六(同) 分別功徳品第十七 同 一巻 同 唐時代

1292 同(同)巻第七妙音菩薩品第二十四/巻第八観世音普門品第二十五 陀羅尼品第二十六 妙荘厳王本事品第二十七 普賢菩薩勤發品第二十八 黄麻輕白紙墨字 一巻 同 同上

1293 佛名經巻第八(同) 黄麻紙墨字 一巻 同 同上

1294 佛説賢劫十方千五百佛名經巻上(同) 同 一巻 同 同上

1295 大般涅槃經 巻第三十 黄麻白紙墨字 一巻 同 隋時代

1296 維摩詰經巻上(同) 黄麻紙墨字 一巻 同 唐時代

1297 大般若波羅蜜多經巻第五百四十五 同 一巻 同 同上

1298 大般涅槃經(同) 同 一巻 同 隋時代

1299 金剛般若波羅蜜多經(同) 同 一巻 同 唐時代

1300 説一切有部集異門足論巻第九(燉煌石室發見) 黄麻紙墨字 一巻 支那 唐時代

1301 法集經巻第一(同) 同 一巻 同 同上

1302 大般涅槃經第五(同) 黄麻輕白紙墨字 一巻 同 同上

1303 妙法蓮華經巻第一(同) 序品第一 白麻紙墨字 一巻 同 同上

1304 金剛般若波羅蜜(同) 黄麻紙墨字 一巻 同 同上

1305 大般若波羅蜜多經第五百九十八(同) 同 一巻 同 同上

1306 金光明最勝王經巻第三(同) 白麻紙墨字 一巻 同 同上

1307 同 巻第八(同) 黄麻紙墨字 一巻 同 同上

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田中慶太郎氏(本郷一丁目)は、蔵品商品ともに全焼した。其内二三の重品を左に録する。

敦煌石室本六朝書抱子一巻(論仙第二対俗第三の残巻) 一煌敦石室古畫天龍八部圖(…以下略)

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罹災美術品目録』(国華倶楽部編, 吉川忠志, 1933)

煌石室本六朝書抱子一巻 第二論仙第三対俗の二篇なり、複製本あり

敦煌天龍八部圖 絹本設色 巾一尺三寸 立二尺餘

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東京帝国大学(本富士町)にて失つた美術品類は…又、美術史研究室では、次のものを焼失した。

(前略…)一敦煌石室本仏畫■本二十幅(…以下略)