2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧

小沢豁郎『碧蹄蹂躪記』

小沢豁郎(天游) 『碧蹄蹂躪記』 東京, 豊島鉄太郎, 明治24(1897)年, 58p.<本文>小沢豁郎(1858-1901)は長野生まれの陸軍中尉。 1884年から翌年にかけて行われた清仏戦争に際して、フランス語に堪能だった小沢は福州において諜報活動を行った。結果だ…

久保任天『立志青年世界無銭旅行』

久保任天(角平) 『立志青年世界無銭旅行』 東京, 成功雑誌社, 明治43(1910)年, 202p.<本文>明治時代は、比較的身分が固定されていた江戸時代とは打って変わって、「立身出世」の時代だったとする意見もある。とは言え、その「立身出世」の中身が一様で…

ラオス卒業旅行2001_旅地図

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【告知】図書館は視えなくなるか?

友人が仕掛けるシリーズ・イベントの第3回。今回も参加予定です。 言語とはなにか― 書く、伝える、遺す(図書館は視えなくなるか?―データベースからアーキテクチャへ) 国立国会図書館長=情報工学者・長尾真の シリーズ対談 第3弾 これまで本という形を与…

南アジア2001-2002_旅地図

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再びダッカからの手紙

今朝、カルカッタを出て、今はダッカにいます。 ここからバンコク経由で成田に向かうのですが、出発まで6時間近く間が空くということで、空港近くのホテル―市内北部の高級住宅地街だと思います―で休憩しているのです。素晴らしく美味いカレーも出してくれる…

再びカルカッタからの手紙

2週間と少しぶりのカルカッタは、相変わらずの喧騒です。宿も前回と同じパラゴンです。ここへ来ると、不思議なくらい何もする気力が起きなくなってしまいます。 そうそう、カルカッタに戻った一昨日、思わぬ出会いがありました。パラゴンのカウンターでシン…

ダージリンからの手紙

今朝、朝に弱いリョウを残して、一人でダージリンの街を散歩しました。この時期は、朝晩はかなり冷え込みます。ホテルから少し坂を登ったところにある広場では、既に散歩をしている人たちがいました。避暑リゾートであるこの街は、裕福そうな人たちが多いよ…

プンツォリンからの手紙

顔面ホームベースT氏の「ブータン旅行に連れて行ってあげるから暫く俺の友達の家に泊まってると良い」という一言で、僕たちは都合5日間、この街にいることになってしまいました。泊めてくれたのは、T氏の遊び仲間のうち、マイカーも持っていて一番金持ちそう…

ジャイガオンからの手紙

ブータンという国は、バックパッカーにとってはハードルの高い国の一つです。個人旅行が許可されておらず、旅行費用を含んだ一日単位のビザの高額な代金を払わなくてはいけないからです。そんなわけで、今回の旅でもブータンに行こうなどとは露にも考えなか…

シリグリからの手紙

再び、インドに戻って来ました。国境を跨いだ途端、人々に包囲されなくなりました。正直、ちょっとうんざりしていたので、これは助かります。 それにしてもタフな移動でした。一昨日の朝にSt.マーティン島を出て、その日のうちにチッタゴンまで移動。ここで…

St.マーティン島からの手紙

「島に行ってみないか?」 リョウがガイドブックの片隅に載っていた、バングラデシュ最南端の島への旅を提案してきたのは、まだカルカッタにいた頃だったと思います。この旅で、ずっと山や砂漠しか見てこなかった僕には、非常に魅力的な話でした。 そんなわ…

コックスバザールからの手紙

チッタゴンには明け方到着し、そこでバスを乗り換えてコックスバザールにやって来ました。ミャンマー国境に近くなるこの辺りは、バングラデシュで多数派を占めるベンガル人とビルマ系の少数民族が入り混じる場所で―政治的にも色々あるらしいのですが―、人々…

ダッカからの手紙

街を歩いていて、通りすがりの人に声をかけられたり、握手を求められたり、あるいはちょっとお茶でもと思って立ち止まるとすぐに数十人単位の人々に包囲され、そして凝視されたり。 そんな経験、あるでしょうか。有名人になった気分とでも言いましょうか。僕…

バングラデシュ2001

カルカッタからの手紙(2)

カルカッタには―僕にとっては少し意外だったのですが―、地下鉄が走っています。南北にカルカッタの街を貫くこの路線は、ちょっとぼろいですが、貧乏旅行者の街歩きにとっては心強い味方です。 今朝、宿からの最寄駅の"Park Street"からこの地下鉄に乗って、…