ダージリンからの手紙

 今朝、朝に弱いリョウを残して、一人でダージリンの街を散歩しました。この時期は、朝晩はかなり冷え込みます。ホテルから少し坂を登ったところにある広場では、既に散歩をしている人たちがいました。避暑リゾートであるこの街は、裕福そうな人たちが多いようです。
 その広場の北側には展望台があります。ここからは、名峰カンチェンジュンガを遥かに望むことができます。僕が散歩をした今日は、カンチェンジュンガは朝陽を受けて薄いピンク色に染まっていました。
 僕の今回の旅もそろそろ終わりに近づいているのですが、その最後を飾るのにふさわしい眺望でした。

 ヒマラヤの南麓にあるダージリンには、シッキムなどのチベット系の人々も多く見かけますし、チベットの難民キャンプも幾つかあります。ここに来るまでは意識していなかったのですが、今回の旅の後半はヒマラヤとチベットを巡る旅だったのかもしれません。
 昨日の夜、リョウと二人でチベット料理のレストランに入りました。40代のチベタンの夫婦で切り盛りする小さなレストランで、久し振りのトゥクパとモモに舌鼓を打ちました。
 夫婦のルーツはチベット本土ということでしたが、難民2世ということで、ラサはまだ見たことがないとか。僕たちがラサを経てヒマラヤを越えたことを話すと、とたんに二人のテンションが上がりました。特にご主人、情報収集に熱心で、「今のラサの様子は?」「チベットはどうだった?」と、ポカラやカトマンズの難民キャンプでもそうだったように、僕たちは質問攻めに遭いました。
 
「鉄道の工事も進んでいるし、チベットの独立というのはどこまで現実的なんだろうか?」
 ひねくれた僕は、少し意地悪な質問を旦那さんに投げかけてみたのですが、それに対する旦那さんの言葉は印象的でした。
「中国に支配されてまだ50年。インドは独立に200年かかった。まだまだこれからだよ」
 僕は、「一民族一国家」という民族国家は必ずしも普遍的な存在ではないと思うので、チベットについても「特に何をどうすべきだ」と声高に主張するつもりはありません。けれども、そういったところから比較的一歩距離を取れる日本人として、また比較的自由に通過できる旅行者として、見れるものは見て、伝えられることは伝えるということも大事なのかな、と今は思っています。
 余談ですが、主人夫婦との話に夢中になって、代金を払い忘れてしまいました。もう出てしまうので、お金を払うことはできないのですが、「話代」ということで許してもらえると期待しています。

 さて、紅茶も堪能したので、これで僕は心おきなくカルカッタに戻ることができそうです。シッキムに向かうリョウとはここでお別れ。カトマンズから一月もの間、寝食をともにした友人との別れにしては、ひどくあっさりした別れでした。