関東大震災と敦煌文献(メモ)
内務省社会局編『大正震災志』下, 東京, 内務省社会局, 1926年.
附録 第一篇 藝術品並に史的古物及古典籍の損害
菊地長四郎氏(元濱町)は、火勢の遂にいかんともすべからざる窮極に立ち至るや、新獲の蘇東坡寒食帖の一巻と、李公麟瀟湘臥圖巻、崋山于公高門圖、同湖石白猫圖の四點を携へて危難を避け、次で壁上の草坪六祖圖を取出し來たものがあって、都合五品は救ひ出されたが、其他無慮幾萬の書畫文房具典籍は挙げて祝融氏の蹂躙に委してしまった。其の細目は未だ調査の途中にあるから、今左に其の一班を録して、異日の大成に資することとする。
一敦煌石室本法華玄義一巻(…以下略)
大倉集古館(葵町)は、男爵大倉喜八郎氏が明治十年前後の頃から蒐集した東洋古物を、大正六年の秋に、財團法人の博物館となして、同七年五月から公開したものであつた。同館は豫て防火設備として屋上に水道を引いてあつたがさうだが、今度の震火災には何等の効能もなくて、陳列館と事務所とを一夜の煙と化してしまつた。
同館の建築物は元来公開的の陳列館として設計されたものでないが爲に、廊下などの多い複雑なる構造であつたが、大體に於ては第一號から第三號までの三館から成るものであつた。その三號館の階下には桂昌院の霊廟があつた。桂昌院は即ち五代将軍綱吉の生母で、其廟は芝増上寺境内にあつたが、明治の初年頃大倉氏の購ひ取て保存せられてあつたのを、此館新築の時に、其規模を縮小して階下に仕組んだもので、内陣の壁画唐獅子蓮華圖は常信一派の筆に成つたものであつた。此の霊廟内に安置してあつた金銅釈迦坐像と迦葉、阿難の立像はもと北京の萬壽山にあつたものであつたが、いづれも廟もろともに■鎔けてしまつた。又同館階上の一室に上段の間というのがあつた。之は京都伏見の興正寺に傳つてゐた桃山城遺構の一部分で、床壁の帝鑑圖説の圖、帳臺篩の鶴の圖、襖の梅竹の圖などは鳳の快闊なるものであつた。次に構内の西北隅■南阪に添うた高處にあつた資善堂はもと京城景福宮の一宇で、朝鮮建築の標本と見るべきものであつた。以上悉く灰塵に歸して、残つたのは倉庫と表門だけである。
集古館の蔵品は總和四千四百六十六點であつた。其内倉庫にあつたものと、火事の際努力して救出されたものと、又火災に罹つたが修理して復活の見込あるものと概數約一千百七十點あるから、之を除いて約三千三百點が全く焼亡したわけである。
さて其蔵品の種別は、第一が東洋諸國の佛像道像の類が中心で、其他は概ね東洋諸國の工藝品である。即ち日本の蒔絵品、支那の堆朱品、石佛、銅佛、古銅器、墓(石+専)、陶俑等で、絵畫は最も少なかつた。
(…中略…)
書畫類は比較的少く、總て約三百點に過ぎなかつた。此館を美術館と称せなかつた、所以は職として是にあるのだ。書蹟では燉煌石室發掘の寫經二十四巻あつた。其書目は、
一妙法蓮華經二巻、穀紙墨字、隋時代 一大般涅槃經二巻、同同 一妙法蓮華經六巻、同唐時代 一同一巻、黄麻紙墨字同 一佛名經巻第八、穀紙墨字、同 一佛説賢劫十方千五百佛名經、同、同 一維摩詰經巻上、同、同 一大般若波羅蜜多經二巻、同、同 一金剛般若波羅蜜多經二巻、同、同 一説一切有部集異門足論巻第九、同、同 一法集經巻第一、同、同 一大般涅槃經巻第五、同、同 一妙法蓮華経巻第一、同、同 一金光明最勝王經二巻、同同
(…以下略)
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(註)『大倉集古館陳列品目録』(大倉集古館, 1918)所蔵リスト。
1284 妙法蓮華經巻第三(燉煌石室發見) 薬諭品第五後半 授記品第六 化城諭品第七 黄麻紙墨字 一巻 支那 隋時代
1285 同巻第四(同) 見寶塔品第十一 白麻紙墨字 一巻 同 唐時代
1286 妙法蓮華經巻第四(同) 五百弟子受記品第八 授學无學人記品第九 黄麻紙墨字 一巻 支那 唐時代
1287 同(燉煌石室發見)巻第四 法師品第十 見寶塔品第十一/巻第五 提婆達多品第十二 勤持品第十三 同 一巻 同 同上
1288 同巻第四(同) 授學无學人記品第九後半 法師品第十 同 一巻 同 同上
1289 同巻第五(同) 提婆達多品第十二後半 勤持品第十三 同 一巻 同 隋時代
1290 同 上(同) 安樂行品第十四 從地涌出品第十五 同 一巻 同上
1291 同 巻第六(同) 分別功徳品第十七 同 一巻 同 唐時代
1292 同(同)巻第七妙音菩薩品第二十四/巻第八観世音普門品第二十五 陀羅尼品第二十六 妙荘厳王本事品第二十七 普賢菩薩勤發品第二十八 黄麻輕白紙墨字 一巻 同 同上
1293 佛名經巻第八(同) 黄麻紙墨字 一巻 同 同上
1294 佛説賢劫十方千五百佛名經巻上(同) 同 一巻 同 同上
1295 大般涅槃經 巻第三十 黄麻白紙墨字 一巻 同 隋時代
1296 維摩詰經巻上(同) 黄麻紙墨字 一巻 同 唐時代
1297 大般若波羅蜜多經巻第五百四十五 同 一巻 同 同上
1298 大般涅槃經(同) 同 一巻 同 隋時代
1299 金剛般若波羅蜜多經(同) 同 一巻 同 唐時代
1300 説一切有部集異門足論巻第九(燉煌石室發見) 黄麻紙墨字 一巻 支那 唐時代
1301 法集經巻第一(同) 同 一巻 同 同上
1302 大般涅槃經第五(同) 黄麻輕白紙墨字 一巻 同 同上
1303 妙法蓮華經巻第一(同) 序品第一 白麻紙墨字 一巻 同 同上
1304 金剛般若波羅蜜(同) 黄麻紙墨字 一巻 同 同上
1305 大般若波羅蜜多經第五百九十八(同) 同 一巻 同 同上
1306 金光明最勝王經巻第三(同) 白麻紙墨字 一巻 同 同上
1307 同 巻第八(同) 黄麻紙墨字 一巻 同 同上
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田中慶太郎氏(本郷一丁目)は、蔵品商品ともに全焼した。其内二三の重品を左に録する。
一敦煌石室本六朝書抱子一巻(論仙第二対俗第三の残巻) 一煌敦石室古畫天龍八部圖(…以下略)
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『罹災美術品目録』(国華倶楽部編, 吉川忠志, 1933)
煌石室本六朝書抱子一巻 第二論仙第三対俗の二篇なり、複製本あり
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東京帝国大学(本富士町)にて失つた美術品類は…又、美術史研究室では、次のものを焼失した。
(前略…)一敦煌石室本仏畫■本二十幅(…以下略)
国立国会図書館所蔵太湖庁檔案(メモ)
最終更新日2024/5/13
概要
- 檔案とは、中国の政府機関が政務運営のために発行・保管してきた文書。このうち、地方の行政機関の檔案(地方檔案)は、為政者の事情にかかわらず地方行政手続きがそのまま記録されている場合が多く、何らかの事柄を後世に伝えることを意図して編纂されたその他の歴史文献と比して、その資料的価値は高い。しかし、所蔵地が分散され、また閲覧にも様々な制約が伴うため、まだまだその活用は十分ではない。[山本1999][山本2019]
- 蘇州府(江蘇省)の太湖流域を専門的に管轄するために設置された散庁(行政機関。州県を設置するには不適当な新開地等に置かれる)である太湖庁(太湖撫民府、太湖理民府ともいう)の檔案(公文書)で、国立国会図書館には「太湖理民府文件」(31件498葉)として所蔵。[夫馬1993][岸本1994][太田2021]
- 戦前、東亜研究所が中国本土で収集した漢籍コレクションに含まれていたものとみられ、昭和24(1949)年に国立国会図書館が同研究所の後継である政治経済研究所から購入したものに含まれていたと思われる。[福島2018]
- 南京博物院にも50件(確定数。未確定のものを含めれば110件超となる。ただし一般非公開)が所蔵されている。国立国会図書館所蔵が1866-1911年であるのに対し、南京博物院所蔵は1803-1876年。[范2003][山本2019]
- 決して大部なコレクションではないが、清代地方衙門の檔案で日本国内の研究機関で「多少ともまとまった形で」収蔵されているものは本件のみ。また、残っている洞庭山地方の檔案も本件のみ。[岸本1994][山本1999]
- 現存する太湖庁檔案のうち、訴訟・裁判に関するものが多くを占める(国立国会図書館所蔵21/31:1869-1911、南京博物院所蔵46/50:1803-1852)ことから、江南郷村社会を知るうえでの貴重な情報源と言える。[范2003][山本2019]
- 太湖庁の管轄は太湖に突き出た「東山」と湖上の島である「西山」。雍正8(1730)年に水利を治めるために呉県同里鎮に設置された太湖同知が、雍正13(1735)年に洞庭東山に移駐され、盗賊等の逮捕とともに東山の民事も統括することとなった。州・県と同レベルである太湖庁には、初審の案件が持ち込まれており、そのうちの一部が残されている。[夫馬1993][岸本1994]
- 太湖庁は乾隆12(1747)年以降、太湖中の島々の田賦徴収も司ることになった(ただし、乾隆40(1775)年からは西山のみ呉県の管轄となった)。このため、備荒のための積穀の運営、銭糧徴取の具体的な手続、糧価の定期報告、太湖の救生船(水難事故の救助制度)、太湖庁付設の司獄司の役食銀といった行政文書も含まれている。[岸本1994]
- とりわけ糧価の定期報告について、太湖庁管内の糧価報告の原文書80点余が含まれている。清代中期以降、全土をカバーする大規模な穀物価格報告制度が整備されており、州県レベルでの穀物価格調査がどのように行われ、そしてどのような形式で府に報告されたのかをうかがうことができる。[岸本1994]
- 当時有数の商人集団であった洞庭商人(商帮)の具体的な活動の一端も窺うことができる。[范2002][范2003]
国立国会図書館所蔵分の目録及び概要
- 第一、二 藩憲札飭會委稽查積穀案內寔存各數裏復由光緒八年至十八年 ※1882-1892年
災害用の穀物備蓄のため、管内の地保(郷村における警察、銭糧管理、調停、契約保証、推理監督等を担う)に対して徴税原簿に基づく册串単簿への記入を命じる通達や、銀銭比價の掲示・監督等を命じる太湖同知・傅懐祖の文書が含まれる。[山本1999][范2003]
- 第三 藩憲飭查晴雨日期米粮洋價稟報宣統元年正月至三年五月分 ※1909-1911年
執筆者は書吏の薛継述(上司のチェックも入っている)。10日ごとに気候状況、米価、銀元価格を報告(3-1)。実際に上級衙門(府と布政司)に送られたものではなく、その草稿。しかし、価格が銀両建価格になっていないことや、大豆や黄豆の価格が記されていないことなど、内容不備の叱責を度々受けていることもうかがえる(3-37,50,60,62)。また、叱責に対する弁明も残されている(3-63)。他省の例などと照らしても、太湖庁は書吏が少ないことから事務を簡略に済ませることが常態化していたらしい。また、管内に銀行や銭店がなく銀価を報告する術がないといった、太湖庁ならではの事情もうかがえる(5-2)。なお、宣統2(1910)年に全国的に米価高騰が問題(不作ではなく貨幣制度の混乱に起因)となり、太湖庁管内でもおおよそ似たような価格変動の推移を見せている。太湖庁が清末になってようやく報告の不備を叱責されているのも、こういった緊迫した世情が背景にあるかもしれない。[岸本1994]
- 第四 銀錢市價具報宣統二年十二月 ※1910年
各種貨幣の比価の調査を命じたもの。度支部の命による基礎的調査事業の一環か。[岸本1994]
- 第五 典牌洋價具報宣統三年二月 ※1911年
- 第六 太湖救生義擧草創文件光緒二年十一月至六年六月 ※1876-1880年
太湖の船舶事故の被災者救済等目的と舌を民間慈善施設である救生公所に関する文書で、申請手続きや必要経費等の実態がうかがえるもの。[范2003]
- 第七 司獄司呈申請役食銀兩由光緒二十五年二月・三月至三十四年の冬季分 ※1899-1908年
太湖庁の司獄司が同知に対して銀立ての給金?(役銀)の支払を求めるもの。[范2003]
- 第八 白浮頭等處私設漁籪淤佔草蕩令業戶剷除事光緒十二年至十五年 ※1886-1889年
太湖庁と呉県との境界にある白浮頭(湖名)に、無断で設けられた魚簾等の養魚用施設(竹でつくった柵などの囲い)や生い茂った水草のため船舶の通行に不便な場所があることから、これらを全て撤去したうえで、現地見取り図と、今後はこうした施設を設置しない旨の誓約書を付して報告するよう、太湖同知・陳章錫から司獄司(太湖庁従九品)・蕩差(治安を司る郷村役)に命じたもの。実際に現場で撤去を命じられているのは、蕩頭・漁戸・地保(沈正興、秦信和らの名前が見える)。他に、圖董・秦景福や地保・呉紫塘らによる盗賊取り締まりの要望書なども含まれる。乾隆年間より定期的(年2回)に行われていた模様。[山本1999][范2003][太田2021]
- 第九 雜文件
6種類の雑文書で、光緒2年に太湖庁から蘇州府に送られた通牒(の下書き)が含まれている。[范2003]
- 第十 永遠杜絕賣坟前餘地文契附太湖廳契尾同治五年九月 ※1866年
- 第十一 周晉卿呈控龔正林短給修金扣留行李等情一案同治八年二月 ※1869年
庶民で染坊店で働く周晉卿が自身の主人である龔正林に対し、給金を使い込んだことを理由に龔が周の荷物を差し押さえたことを訴えたもの。両者の居住する圖の地保である陸明祥と沈在明も供述している。原告が提出した告状を欠く。[夫馬1993][山本1999]
- 第十二 宋惟勳呈控姜鳳林等糾衆兇毆等情一案同治九年七月 ※1870年
宋惟勲が「逞酒糾擾」「糾衆兇殺」のかどで姜鳳林ら4人を訴えたもので、官代書の程仁が代筆している。付された関連文書は、太湖庁の役人である樊鍾秀が被告や証人、原告、地保の連行を命じた命令書や、被告3名の連名で出された訴状(反論)、値日役(差役)の顧仁が関係者が揃った旨を復命した文書、そして尋問調書とそこに付された堂諭(判決文)が入っている。事件発生が6/24,26で、6/28に訴訟・裁判が開始され、7/18に結審している(結果は、宋が誣告を認めたことにより原告の敗訴)。[夫馬1993][山本1999]
- 第十三 姚永昌將方單向身借朱姓錢文屢催掯贖等情一案同治九年十一月 ※1870年
太湖庁の郭鳳による地保・姚永昌の行状(借金の返済拒否)についての報告書。[山本1999]
- 第十四 柴肅卿呈控葉元寶掯還借項陳德福扛帮兇毆等情一案同治十年二月 ※1871年
庶民である柴肅卿が同じ村に住む葉元寶に対し、葉が借金の返済を迫るとともに隣人の陳德福と結託して暴力を振るったとして訴えたもの。調停役の地保・唐心田も召喚されている。[山本1999]
- 第十五 金奎呈控湯正隆阿如等眛良串吞盜賣山地等情一案同治十年三月 ※1871年
差役・金奎が同じ村に住む湯正隆に対し、湯が共謀して金の山地を盗売したとして訴えたもの(当該山地は、湯が金の父から借金する際の抵当としたものらしい)。正印官が原告が証拠書類として提出した契約文書を告状に糊付けせよと命じているが、なされていない。[夫馬1993][山本1999]
- 第十六 胡張氏呈控朱永錫等恃衆拳毆伊夫胡正祥受傷請騐等情一案同治十年三月 ※1871年
胡張氏が永錫等数人に対し、彼らが彼女の夫・胡正祥に暴力を振るったとして訴えたもの。地保・秦信和も召喚されている。[山本1999]
- 第十七 蔡啓祥呈控營辦金友良擅將伊行門關閉又將伊行大秤踏斷等情一案同治十一年四月 ※1872年
- 第十八 汪世隆呈控金阿祥卽金茂林逞兇毆傷身夫婦等情一案同治十一年七月 ※1872年
- 第十九 張文均呈控葉天如聳妾加找房價等情一案同治十一年九月 ※1872年
監生・張文均が葉天如に対し、売買契約を結んだ家屋に葉天如の妾が勝手に「找價」(既に売った物件について、売り手が買い手に対して価格の足し前を要求すること)を加えるのを許したことを訴えたもの。被告が出頭を拒む事情を地保・印茂安らが報告している。「找價」に起因する訴訟事例は多く見られるものの、通常、「找價」が認められるケースは多くない。しかしこの場合は、売り手の老齢と貧困を哀れんで、「找價」を支払う理由がないとしながらも、支払を命じている。[岸本1997][山本1999]
- 第二十 姚永昌等呈控姚順芳同妻姚朱氏連次辱罵不許開濬後漾等情一案同治十二年五月 ※1873年
地保・姚永昌が連名で姚順芳夫妻に対し、彼らが圖内の水田の浚渫を許さなかったために泥で塞がってしまったことを訴えたもの。[山本1999]
- 第二十一 周國賓稟席洪昇捏造誣控乞恩提究事案同治十二年九月 ※1873年
経造(徴税請負人)・席洪昇が周國賓に対し、周が他人の家屋を壊して売却しようとしていることを報告するもの。地保・鄭少蘭や原差・郭鳳も召喚されている。[山本1999]
- 第二十二 張蔡氏呈控嗣子時華不得於所後之親呈請易立等情一案同治十二年九月 ※1873年
張蔡氏(43歳)が素行不良を理由に、甥で養子の張樹(時)華と養子契約(ただし契約書はない)を破棄し、樹華の別の兄弟を後継としたいと申し出たもの。地保・唐心田も召喚されている。訴えは受理されたが、審議の結果、張蔡氏は敗訴した。[山本1999][臼井2015]
- 第二十三 夏國祥呈控芮茂興挾仇毆傷胞姪夏阿和等情一案光緒元年六月 ※1875年
夏國祥(67歳)という庶民が、甥の夏阿和が隣人・芮茂興(30歳)ら5人から逆恨みの末に集団リンチを受けて重傷を負った事件について調査を求めた告状(23-1)、被告である芮茂興が一部容疑を否認する訴状(23-4)、喚問のため地保・姚永昌を含む関係者を召喚する牌(下行文、23-7)が含まれる。最初、芮が夏の桑葉を盗んで捕らえられた際、姚がえこひいきして芮を釈放したことが発端。[山本1999][山本2019]
- 第二十四 鄭吳氏等呈控夫族兄鄭衡堂吞沒會銀等情一案光緒元年十一月 ※1875年
鄭呉氏らが同じ圖内に住む親族の鄭衡堂に対し、鄭が廟会費を横領したことを訴えたもの。地保の萬正芳・呉雲祥・萬晴山も立会人として出頭している。[山本1999]
- 第二十五 萬順昌呈控妻母韓鄭氏縱女捲逃等情一案光緒二年一月 ※1876年
萬順昌(38歳)という庶民が、10年来連れ添ってきた妻・萬韓氏(26歳)が萬の不在中(上海に出稼ぎに行っていた)に行方不明となったことを太湖庁に訴え出た際の文書類。萬順昌の供述書(25-4-1,25-5-6)、行方不明となっていた4か月の間、萬韓氏と行動を共にしていた(しかし姦淫の事実は否定する)萬韓氏の幼馴染で皮革職人の林阿才(21歳)の供述書(25-5-1)、(同様に姦淫の事実を否定する)萬韓氏の供述書(25-5-2)、(娘に逃亡をけしかけたとされる)萬韓氏の母・韓鄭氏の供述書(25-5-3,25-8-2)、同じく弟・韓阿二(16歳)の供述書(25-5-4,25-8-1)、林阿才の師匠にあたる馮啓祥の供述書(25-5-5)、2人を追尾した金阿燿の供述書(25-5-7,25-19-1)、地保・秦信和(25-8-3)及び周正和(25-14-1)の供述書などが含まれる。[山本1999][臼井2015][落合2021]
- 第二十六 沈英道呈控沈阿巧事不干已將伊等扭毆等情一案光緒二年五月 ※1876年
- 第二十七 陳金氏呈控王銀寶袁錦奎威逼伊夫陳順添自刎等情一案光緒二年五月 ※1876年
陳金氏が王銀寶・袁錦奎に対し、夫・陳順添を脅して自殺させたことを訴えるもの。地保・秦信和も召喚されている。[山本1999]
- 第二十八 兪金氏呈控蔣春德用刀戳傷伊孫兪鳴和左腿受傷等情一案光緒二年五月 ※1876年
西山の六村に住む兪金氏(61歳)が村内で煙館(阿片館)を開いて賭博を生業とする蔣春德(46歳)に対し、4月21日の夜に蔣が彼女の孫で桑葉売りの兪鳴和を傷害したことを訴えるもの(28-5-1)。蔣は自身の妻王氏との密通を疑ってのものと主張している(28-5-6、28-9-4)が、兪鳴和は密通を否定している(28-5-3)。また、証人として召喚された兪勝高(32歳。28-5-2、28-9-1)、胡徳和(28-5-4)、湯徳和(28-5-5)といった村内の庶民や地保・唐心田(28-5-7、28-9-2)は「知らない」などと証言し、否定も肯定もしていない。結局、密通を疑われた兪も、傷害事件を起こした蔣も、ともに処罰された(28-9-5)。[山本1999][落合2022]
- 第二十九 葉長藻稟惡棍周錦祥打燬卓橙等情一案光緒二年五月 ※1876年
正二官・葉長藻の親族・葉升が同村内の惡棍・周錦祥に対し、周が他人に貸していた店の什器を破壊したことを訴えたもの。地保・印茂安も召喚されている。[山本1999]
- 第三十 卜坤元呈控馬寄方賄串船戶拐妻逃匿等情一案光緒二年十一月 ※1876年
庶民の卜坤元が同村内の馬寄方に対し、村内の船戸と結託して卜の妻を誘拐したとして訴えたもの。地保・馬士青も召喚されている。[山本1999]
- 第三十一 芮王氏呈控陸永才缺祖掯還等情一案光緒二年十一月 ※1876年
若くして寡婦となった芮王氏(72歳)が、50年間働いて貯めた自らの老後資金から陸永才(39歳)に未納の小作料など納めてもらえないことを訴えたもの(31-5-1)。貧しくて返金できないという陸の弁明(31-5-2)と、両者の間の調停を行っている地保の夏国堂による陸を糾弾する旨の供述(31-5-3)、そして陸に鞭打ちとただちの借金返済を命じる判決文(堂諭)(31-5-4)も残されている。しかし、陸はそれでも納めなかったため、その後2度に渡って開廷し、都度返済命令が出され、12月になってようやく完済して事案は終了した。[臼井2015][落合2020][夫馬2024]
南京博物院所蔵分の目録
※1949年以後に蘇州府東山鎮の官宅から発見されたらしい。[中島1999]
- 南博2120:太湖理民府据●鼎揚控除順覌等強伐坟樹案[范2003]
- 南博2130:嘉定県為調査城鎮土店及逐日售土数目文[范2003]
- 南博2135:華亭県据李良逵稟請提追高合茂等欠款案[范2003]
- 南博2137:嘉定県為詳請揚焦昱発捐建義庄田産案[范2003]
- 南博2138:華亭県据陸樹徳控倪福慶等抗繳田単案[范2003]
- 南博2139:華亭県転据邵錫瓚控関于汪殿琿二百元借款案[范2003]
- 南博2141:寡婦丁孔氏稟乞准給孤貧口粮[范2003]
- 南博2144:太湖理民府為浙省改建魚鱗石塘采為条石案[范2003]
- 南博2145:嘉定県為開設界涇所需経費案[范2003]
- 南博2146:呉長元三県塩商潘宏昌等為疏銷章程案[范2003]
- 南博2159:嘉定県為太属中学堂経費案[范2003]
- 南博2161,2162:詞訟積案册稿[范20003]
- 南博2167:嘉定県据楊浩文控胡文伯図呑票洋会銭案[范20003]
- 南博2168:嘉定県照会震川学堂認真監督修築宿舎案[范2003]
- 南博2175:呉県函教堂司将被●控之蒋阿小等交回訊断案[范2003]
- 南博2183:呉県為九都二、三圖客民与土民塁争案[范2003]
- 南博2184:呉県為富強戒烟善会稟免房捐案[范2003]
- 南博2187:華亭県為典商増取利息案[范2003]
- 南博2189:華亭県為推広城団経費稟文[范2003]
参考文献
- 国立国会図書館 1965 「当館所蔵特殊コレクション紹介(16)東研本と支那文庫本」『国立国会図書館月報』25.
- 夫馬進 1993 「国立国会図書館藏太湖庁檔案に見る訴訟と裁判の実際―その初歩的知見―」 永田英正編『中国出土文字資料の基礎的研究』平成四年度科学研究費補助金総合研究(A)研究成果報告書.
- 岸本美緒 1994 「清末江蘇省太湖庁の晴雨糧価報告について」 松村潤先生古稀記念論文集編纂委員会編『松村潤先生古稀記念清代史論叢』東京, 汲古書院.
- 岸本美緒 1997 「明清時代における「找価回贖」問題」『中国:社会と文化』12.
- 山本英史 1999 「清代の郷村組織と地方文献―蘇州洞庭山地方の郷村役を例にして―」 『東洋史研究』58-3.
- 中島楽章 19999 『明代郷村社会の紛争処理 : 徽州文書を主たる史料として』早稲田大学博士論文.
- 范金民 2002 「太湖厅档案所見洞庭商人的活動」『江苏大学学报(社会科学版)』2002年6月号.
- 范金民 2003 「太湖厅档案及其史料价值」 朱誠如・王天有主編『明清論叢』四輯, 北京, 紫禁城出版社.
- 胡恒 2014 「清代太湖厅建置沿革及其行政職能変遷考実」『江苏大学学报(社会科学版)』2014年5月号.
- 臼井佐知子 2015 「訴訟關係文章を通してみた淸代社會における女性」『東洋史研究』74巻3号.
- 福島恵 2018 「国立国会図書館蔵「無慮山荘旧蔵拓本」」『学習院大学国際研究教育機構研究年報』4.
- 山本英史 2019 「清代檔案史料」 山本英史主編『中国近世法制史料読解ハンドブック』東京, 東洋文庫.
- 落合守和 2020 「太湖理民府の裁判档案とその言語について」 『人文学報』516(12).
- 落合守和 2021 「太湖理民府の裁判档案とその言語について(2)」 『人文学報』517(12).
- 太田出 2021 『中国農漁村の歴史を歩く』京都, 京都大学学術出版会.
- 落合守和 2022 「太湖理民府の裁判档案とその言語について(3)」 『人文学報』518(12).
- 夫馬進『訟師の中国史―国家の鬼子と健訟』東京, 筑摩書房, 2024年.
デジコレブックカバーチャレンジ
Facebookで流行っていた「ブックカバーチャレンジ」(好きな本の書影を1日1冊7日間アップして友人にバトンをまわす…という遊び)をパクって、「デジコレブックカバーチャレンジ」というバトンを気分転換に始めてみた。
「デジコレを通じて、明治~昭和前半くらいまでの埋もれた面白本を発掘する楽しみを、この連休、ご自宅からぜひ。」「まずはデジコレをよく使う研究者や図書館員が楽しんでやってくれると、ユーザーの裾野が少しは広がるんじゃないかと期待。」という趣旨でやってみたところ、本家には遠く及ばないものの、創始者が全て把握できないくらいには広がってきているようだ。
FacebookでもtwitterでもInstagramでもいいので、少しでも広がってくれればいいなと思っている。
#7days #7DCbookcovers
This is a challenge for contributing to the spread of reading culture through NDL Digital Collection. The method of participation is to post a favorite book, one book per day for 7 days. You upload a cover image, title and URL without explanation about the book and invite one FB friend to participate in this challenge every day.
#DCBookCoverChallenge #day●
Facebookで上記タグか「デジコレブックカバーチャレンジ」で検索するとある程度引っかかってくるが、これまで紹介された本は、このサイトにまとめられている(閲覧制限の都合やタグがつけられていなかったりで、全て網羅されているわけではないが…)。
ちなみに、自分が紹介した表紙は次のとおり。どれも、これまでこのブログで一度取り上げたもの。世界無銭旅行 : 立志青年 - 国立国会図書館デジタルコレクション
竜睡丸漂流記 : 探検実話 - 国立国会図書館デジタルコレクション
蒙古語独修 - 国立国会図書館デジタルコレクション
樺太探検記 - 国立国会図書館デジタルコレクション
樺太探検記 - 国立国会図書館デジタルコレクション
印度紀行釈尊墓況説話筆記 - 国立国会図書館デジタルコレクション
布哇紀行 - 国立国会図書館デジタルコレクション
ぼく、オーディエンスのつもりでした
四国在住の某教授が高円寺で動画配信をやるというので、ジムでのトレーニング上がりに冷やかしがてら顔を出したところ、まさかの登壇となってしまい、思わず言ってしまったのがこの一言。
www.youtube.com
2019年12月21日に、某図書館員と某出版社編集者と、某教授が対談。高円寺三角地帯で、ちゃんと打合せしないでいきなり対談収録したもの。でもどこを切り取っても割とちゃんとした話をしています。特にニューヨーク公共図書館の話とかわりとちゃんとしてた。
事前の打合せがほとんどないままに、前半は「オルデンバーグのサードプレイス論」も引きながら「高円寺」について、後半は映画「ニューヨーク公共図書館 エクスリブリス」を題材に「公共」について、おっさん3人で語り合った90分。
「高円寺こそがサードプレイスだ」というパワーフレーズも出てきて、絶妙な間合いで会話を取り廻すホスト役の某教授のもと、楽しい時間を過ごすことができました。
某教授とお会いするのは3回目、某出版社編集者とは初対面ということで、微妙な緊張感が漂う配信/収録となったのですが、だからこそ内輪になり過ぎずに良かったのかもしれません。
それにしても、高円寺三角地帯の設備・雰囲気は素晴らしい。
正直、固定カメラによる決して質の高くない動画(中身じゃないです、念のため)を延々と視聴するのは苦痛だと感じるときも多かったので、少しばかりの費用さえ負担すれば(理論上は)誰でもこのクオリティの動画を配信できる…というこのモデル、数多のオーガナイザーのイベント魂に火を付けるはず。
問題は、「少しばかり」とは言え個人だと気軽には申し込めない費用をペイするだけの集客ができるだけの中身を用意できる能力・カリスマが自分にあるかどうか…ですが。
勉強会@中央線Z2020~新春の役
今回は、佐藤さんに、戦後占領期に日本で撮影された写真を求めて、アメリカの公文書館や図書館を訪問した調査での経験を元にお話いただきました。さらっと書きましたが、車で4万キロ走って、35箇所の図書館で150あまりのコレクションに目を通して、8万枚の写真を撮影する…というのは並大抵のことではありません…。
写真を使った都市史の研究という観点から写真を渉猟し、何が写っているのか、どう撮られたのか、なぜ撮られたのかを考えていこうとする佐藤先さんのアプローチは、太平洋戦争直後の日本占領期というある意味で特殊な期間を対象にした場合、必然的にアメリカに、公的・私的に残された写真を対象とすることになります(その際に、何が公的で何か私的なのか…という問題は当然あります)。佐藤さんが今回調査したアーカイブも、アメリカ国内でもまだ一部ですし、アメリカに留まらず当時の連合国全体に潜在的に資料が埋もれているかもしれませんし、更にいうと、個人が所蔵する写真にもまだまだ埋もれているものも多いでしょう(少し前に国立国会図書館が公開したモージャー氏撮影写真資料もこれに当たります)。
そう考えると、占領期という極めて限定的な期間であるにもかかわらず、対象とすべき写真もまだまだありそうだし、仮にそれらが全て明らかにできていたとしても、どのように研究するのか。考えられるべきことは多いですが、ディスカッションの中で出た「少なくとも機械(AI)が読めるようにはしておいてほしい」という一言は、極めて重要な指摘だろうと思います。
他にも面白いやり取りは色々あったのですが、印象に残ったのは、「自分は研究インフラを整備していると思っている」「アーカイブはメタデータ含めて整理されるのが理想だが、そうなると逆に研究者としては宝を探すような楽しみが減る」という佐藤さんのコメントですね。
あまり深掘りできなかったのですが、今回のお話には、在外史料を用いた日本研究の歴史とそのあり方…という側面もありました。まだまだ論点はありますので、続編も企画できればと考えています。
- 勉強会@中央線Z2019~中秋の変(2019/10/17) (57)
- 勉強会@中央線Z2019~盛夏の変(2019/8/2) (56)
- 勉強会@中央線Z2019~初夏の変(2019/5/24) (55)
- 勉強会@中央線10周年記念企画第5弾(2019/2/7) (54)
- 勉強会@中央線10周年記念企画第4弾(2018/12/10) (53)
- 勉強会@中央線10周年記念企画第3弾(2018/9/16-17) (52)
- 勉強会@中央線10周年記念企画第2弾(2018/7/25) (51)
- 勉強会@中央線10周年記念企画第1弾(2018/3/23) (50)
- 勉強会@中央線RT2018〜如月(2018/2/5) (49)
- 勉強会@中央線RT2017〜葉月(2017/8/10) (48)
- 勉強会@中央線RT2017〜水無月(2017/6/9) (47)
- 勉強会@中央線RT2017〜卯月(2017/4/21) (46)
- 勉強会@中央線RT2016〜忘年編(2016/12/1) (45)
- 勉強会@中央線RT2016〜夏(2016/8/2) (44)
- 勉強会@中央線RT2015〜秋(2015/11/25) (43)
- 勉強会@中央線RT2015〜夏(2015/6/11) (42)
- 勉強会@中央線RT2014〜忘年編(2014/12/8) (41)
- 勉強会@中央線RT2014(2014/3/26) (40)
- 勉強会@中央線NEO2013(2013/3/27) (38)-(39)
- 勉強会@中央線NEO2012(2012/10/11) (33)-(37)
- 勉強会@中央線NEO2011(2011/11/15) (27)-(32)
- 勉強会@中央線NEO2010(2010/11/10) (22)-(26)
- 勉強会@中央線2008-2009(2009/12/10) (1)-(21)
- 「ガード下の「ゆるく尖った場」:10年目の勉強会@中央線」(2017/2/25)
- 勉強会@中央線NEOのライフサイクル(2013/3/28)
- 勉強会@中央線NEOのレシピ(2011/11/16)
- 内と外(2009/11/13)
避暑地及び湯治塲に於ける理想的圖書館
観光と図書館の走り?全然内容違うかもなので確認せねば。「避暑地及び湯治塲に於ける理想的圖書館/お、た生/58~」 / “図書館雑誌 = The Library journal. (3) - 国立国会図書館デジタルコレクション” https://t.co/FRawYDML7g
— Yaskohi (@yaskohi) October 27, 2019
「避暑地及び湯治塲に於ける理想的圖書館」『図書館雑誌』3号, 1908年6月, p.58-59.
twitterで見かけたのだが、海外彙報のエントリーの一つのようだ*1。
紹介されているのはアメリカはメイン州のポーランドの温泉施設、ポーランドハウスの図書室。
1895年に37冊の蔵書からスタートして、12年後には4,800冊を超えていたそうだが、その増加のほとんどは、施設側の購入ではなく、利用者の寄付によっていたというところがポイントだろうか。
日本にも草津町立図書館の温泉図書館もあるが、これはそのハシリと言えるだろう。
- 「SL銀河の宮沢賢治文庫」(2019/10/16)
- 「『観光文化』243号「特集:観光と図書館~地域の観光に図書館はどう寄与できるか~」」(2019/10/15)
- 「再びオランダへ」(2019/3/29)
- 「汽車中の図書室 簡単なる旅中の伴侶」(2017/5/26)
- 和田万吉の「旅客の為めに図書館」(2012/8/15)
- 『図書館雑誌』2012年8月号に「マレビト・サービス」を執筆(2012/8/14)
- マレビトサービス#2:西牟田靖編(2011/5/15)
- 同時多発的お花見ストリーム/マレビトサービス#1:石田ゆうすけ編(2011/4/7)
- 地域と観光に関する情報サービス研究会第三回研究会(2011/3/25)
- 地域と観光に関する情報サービス研究会第二回研究会(2011/2/22)
- 地域と観光に関する情報サービス研究会第一回研究会(2011/1/23)
- 地域と観光に関する情報サービス研究会(マレビトの会)発足(2011/1/11)
- 図書館と観光:その融合がもたらすもの(2010/12/27)
- Airport Library @スキポール空港(2010/9/8)
- 鼎談「まちづくり・観光・図書館」(2010/7/5)
- 観光と図書館の融合の可能性についての考察(2010/5/1)
- アーバンツーリズムと図書館(2009/3/24)
- Tokyo's Tokyo(2009/3/4)
- 旅の図書館(2009/2/12)
- 南益行の「観光図書館論(2009/1/27)
- 旅人のための図書館を夢想する(2008/12/27)
- 蛇足 「八重山図書館考」(2008/10/10)
*1:元ネタはPulic Libraries誌のようだが、現物は未確認