カルカッタからの手紙(2)

 カルカッタには―僕にとっては少し意外だったのですが―、地下鉄が走っています。南北にカルカッタの街を貫くこの路線は、ちょっとぼろいですが、貧乏旅行者の街歩きにとっては心強い味方です。
 今朝、宿からの最寄駅の"Park Street"からこの地下鉄に乗って、南の"Kalighat"に行きました。ここには、ヒンドゥーの女神カーリーを祀った寺院があります。この寺院で毎朝10時から行われる儀式は見ておくべきだと誰か(すいません、忘れてしまいました)から聞いたので、暇つぶしにちょっと行ってみることにしたのです。朝に弱いリョウを置いて、一人でした。
 
 地上に出て少し路地を歩いていくと、土産物屋街が出現しました。どうやら、目的の寺院の門前町に出たようです。土産物と言っても、僕のような旅行者相手のものではなく、完全に地元の参拝者向けのものなので、客引きに声をかけられることもありません。そもそも、電飾のシバ神やカーリー女神に触手が動くこともないのですが。
 ともあれ、そんな土産物を横目に見つつ寺院に近づいていくと、次第に参拝客と物乞いと野良犬で道は一杯になっていました。僕も参拝者の流れに乗って寺院の中に草履を脱いで入り、太鼓の合図とともに儀式が執り行われる場所に入りました。寺院の一角のそれほど大きくない空間でした。
 ここで毎日行われている儀式とは、子ヤギをカーリー女神への犠牲として捧げる儀式です。
 すでに、カーリー女神に供される子ヤギは、ガンガーの水で清められていて、大理石の舞台の上に男たちの手でしっかりと抑えつけられていました。奥では、既に犠牲となった子ヤギの肉塊を脇において、別の男が鉈を研いでいました。気づけば、参拝者がびっしりと囲み、みな跪いて熱心に祈りを捧げています。子ヤギは、すでに己の運命がよく分かっていたのでしょう。目から涙を流しながら(そう見えたのです)、全身をがくがくと震わせていました。
 ほどなく、子ヤギは足を縛られてから―その瞬間、小さく、しかし鋭い鳴き声をあげました―断頭台に首を抑えつけられ、次の瞬間、鉈が振り下ろされました。その一連の動作は、流れるようにスムーズなものでした。
 首を落とされてもなお、子ヤギの目はかっと見開き、虚空を見つめていました。そして、主を失った胴体はしばらく痙攣を繰り返していました。

 あの時の子ヤギの目には、何が映っていたのでしょうか?参拝者の熱気と暑さでボーっとした頭でそんなことを考えながら、僕はまた地下鉄に乗り、帰りは一つ手前の"Moidan"で降りて、モイダン公園をぶらぶらと散歩しました。
 2001年も残すところあと3日となりました。いよいよ明日、ダッカに行きます。