カルカッタからの手紙(1)


 カルカッタ
 コロニアルな建物の間を流れる大量の褐色の人間の流れを縫うように、人力車と黄色いカブが走り抜けるこの賑やかな街は、僕のお気に入りです。ちなみに、植民地時代の名残を引きずったこの「カルカッタ」という名前を持つこの街も、今は「コルカタ」と呼ばれていますが、個人的には「カルカッタ」というどこかノスタルジックな響きが好きだったりします。

 カルカッタのハウラー駅を出て河を渡り、南の方へしばらく歩いて行くと、国立博物館があります。そこから少し裏手に入っていくと、安宿街があります。その名も「サダル・ストリート」。僕たちの宿は、パラゴンというとてもキレイとは言えない、しかし安いホテル(ツインにしました)。各国からやって来た長期の旅行者たちのたまる、その筋では有名な宿らしいです。
 ところでこのホテル、日本人や欧米人も多いのですが、何より目立つのが韓国人。今回旅に出てみて、これまでより格段に韓国からの旅行者が増えたという印象だったのですが、ここは別格です。カルカッタにあるマザーハウスに奉仕労働にやってきたという、(恐らくはキリスト教系の)団体さんご一行が泊まっているのです。しかも、泊まっているだけならまだしも、夜な夜な2階のテラスに集まって、太鼓まで持ち出してどんちゃん騒ぎをやらかしてくれるのです。
 日本人の30代後半と思しき夫婦バックパッカーがその様子を見て、「20年前の日本人と同じだなぁ」と呟いていたのですが、仮にそうだとしても、オージーの旅行者と「肩身狭いねぇ」とか言いながら隅っこの方でトランプをするようなことになるのは、何となく不本意です。

 ついつい愚痴ってしまいましたが、最初に書いたとおり、この賑やかな界隈は意外と居心地が良いです。腹が空けば路地裏の屋台で焼きソバを食べるし、時間を持て余せばチャイ屋のベンチに腰かけて行き交う人を眺めればよし。路肩の壊れたポンプで身体を洗う子供たちや、諦観したような眼差しで浮かれた旅行者を見上げる親たちの姿を、視界から意識的に排除している限りは。

 そうそう、そろそろ帰国のことをを考えなければいけなくなってきました。2月に研究発表をやることになっているので、来月の後半には日本に帰ろうと思っています。これからバングラデシュに入るとチケットが取りづらくなるので、ここで取ってしまうことにしたのです。というわけで、片っぱしから旅行代理店をまわっています。
 僕の今回の旅は、どうやらここカルカッタで終わるようです。旅の終わりが見えてくると、何だか急に落ち着かなくなってきました。