久保任天『立志青年世界無銭旅行』

久保任天(角平) 『立志青年世界無銭旅行』 東京, 成功雑誌社, 明治43(1910)年, 202p.

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明治時代は、比較的身分が固定されていた江戸時代とは打って変わって、「立身出世」の時代だったとする意見もある。とは言え、その「立身出世」の中身が一様ではなかったようで、当初は旧士族階級を中心に明日の成功を夢見て学問や事業に励む者が多かったのに対し、1890年代以降は階級を問わず―むしろ低い階層の人々が即物的な―「立身出世」を目指すようになったらしい。それに伴い、そのためのハウツー本や自伝本が数多く出版されたが、本書もそんな「立身出世」を夢見る青年のために書かれた一冊である。
明治36(1903)年、小池泉は16才のときに故郷・諏訪を出た。彼自身は家柄・財産・学歴いずれも持たない身ではあったが、そのような時代の風潮を受けてアメリカでの成功を夢見ていた。カーネギーやロックフェラーといった人々の存在を意識していたようだ。
その後、野宿旅行の末に辿り着いた横浜で洗濯職人などをしていたが、アメリカ籍の帆船に水夫として乗り込むチャンスを得た。小池青年は船に乗ってインド洋、大西洋とまわり、アメリカの地に辿り着く。その後、紆余曲折を経て次はアメリカの軍艦に乗り込んだ。ここで、折しも戦端が開かれようとしていた日本海海戦において日本が勝つかロシアが勝つかの賭けを乗組員でやった結果、何と7000円もの大金を手にすることとなった。この金を元手にして、小泉青年はノーフォーク市に日本雑貨店を開き、商売を軌道に乗せた。
本書は、郷里を出て5年目に日本に凱旋帰国した小泉青年が大金を得てアメリカで商売を始めるまでの過程が記されたもので、本来であれば書かれてしかるべき商売の苦労などではなく、船上の冒険譚に終始している。これは恐らく、漠然と成功を夢見る年少者向けの本だからだろう。
さて、小泉青年が日本海海戦をネタに賭けをしたことに象徴されるように、本書を語る際には当時の日露戦争との関連は不可避だろう。最初に乗った帆船では、乗組員はデンマーク、ロシア、ハワイ、ドイツ、フランスなど、様々な国籍を持つ。小泉青年は当然のようにロシア人と喧嘩するのだが、その際にはフランス人・ドイツ人がロシア人の肩を持っている。当時の国際情勢を帆船の中の人間関係に仮託し、小泉青年に帝国列強がしのぎを削る世界に、遅れてきた列強として乗り込んだ日本そのものの姿を重ね合わせていると見ていい。
旅人も、国家を背負っているのだ。