(番外編)寒空のオリオン

1999年11月28日。私は大和西大寺駅のケーブルテレビの前で革のジャケットのポケットに手を突っ込んで。どこかの国のサッカーリーグの中継をみながら人を待っていた。夕方だったが、季節のわりにはその日の宵はそれほど寒くなかった。でもそれは、僕があの旅で果たせなかった、これから来るはずの男との乾杯を楽しみにしていたからかもしれない。

話は私がマラッカのセント・ポールの丘の木陰に腰掛けていた3月13日に遡る。丘から下りてみたものの、暇つぶしに観ようと思っていた映画の時間には早かったので、行き交う人波をぼんやりと眺めていた僕の目に、思いがけない顔が飛び込んできた。クアラ・トレンガヌ、カパス島と5日ほど行動を共にし、4日ほど前にクアラ・トレンガヌのバス・ステーションで別れたKその人だった。僕はクアラ・トレンガヌからバトゥパハを経て11日にマラッカに入っていて、14日はシンガポールに渡るつもりだった。
確かにKは、別れ際に「メルシン経由でマラッカに行くから、ひょっとしたら会えるかもしれない」と言っていたが、まさかそれが実現するとは考えてもいなかったので、彼の見慣れたバンダナを見た瞬間にうれしくなってしまい、思わず人目もはばからずに大声で呼びかけてしまった。
思いがけない再会に喜び合った私たちは、早速その日の夜にビールを呑む約束をした(Kは無類のビール好きで、カパス島でも呑もう、呑もうと誘ってきたが、あいにく島内にはアルコールそのものがなかったので諦めざるを得なかったのだ)。まだ昼過ぎで、互いに予定もあったので、19時に海に突き出た、夕日を見るには絶好のスポットである桟橋で待ち合わせをして、その場は別れた。
18時半。私は待ち合わせの場所にやって来た。そこは、地元の釣り人でいっぱいだった。残念ながら雲が多く、沢木耕太郎絶賛のマラッカの夕日は最後まで見れなかったなと思っていたら、怪しげな雲が陸の方から湧き立ってきて、あれよあれよと言う間にとんでもないスコールになってしまった。おまけに見たことのないくらいの大きさの雷鳴が轟きだした。これではさすがにKも来ないだろうと思い、泰然としているマレー人を横目に、踝まで水に浸かりながらホテルに帰った。まだ連絡先を交換してなかったこもとあり、Kとはもう会うこともないだろうと思いながら。
ところが、である。Kの大学にたまたま私の高校の後輩が在籍していて、その後輩を通じてKの連絡先を調べてくれるよう頼んだところ、それが分かってしまったのだった。後輩に晩飯をご馳走した甲斐があったと思いながら、そして自分のことを覚えていてくれるだろうかと不安に駆られながら教えられた番号に電話してみた。そして、めでたく今日、Kとここで会うこととなったのである。

八か月ぶりに会ったKは、丸刈りから一転、長髪になっていて、雰囲気が違って見えたが、それは彼も同様だったらしく、私の顔を見て開口一番「顔、丸くなった」と言った。今回は私たちの乾杯を妨げるものは何もなく、無事に生ビールのジョッキを傾けることができた。旅先で叶わなかったことが、南国の空から何千キロも離れた晩秋の奈良で実現するとは、妙な心地がした。

  • Y:俺にとって、あの春の旅はすごく大きかった。まだ3年やけど、大学に入ってからの最大の山場やったと思う。
  • K:俺も何回かタイに行ってるけど、あの春はそれまでと違って特別やったな。
  • Y:何がちがったん?
  • K:最初に行ったときは全然余裕がなくて、楽しみきれんかったんよ。ただ行っただけ、みたいな。あのときは「日本はダメ。だから、とにかく外国へ」って考えてた。でも、春は余裕をもって楽しめたし、色々と考えることもあった。それに、外に出て初めて日本への愛着みたいなものも出てきた。やっぱり「自分」ていうものが出てきたっていうことが違うところやろな。
  • Y:「自分」が無くてとりあえず外国へっていう人は多いな。でもやっぱり、その一本、筋になるものがないとどこに行ってもあかんやろうね。
  • K:そう。そういう人ってやたら日本を否定して、外国、例えばタイとかを美化しまくるやろ。でも俺には、そういう人は日本の現実から逃げて、そこに埋没してしまっているように見える。
  • Y:まぁ傾向としてはね。De999 Guest Houseに怪しげなおっさんとか、何人かおったやろ?あの人らもそのクチやろうけど、あの人らってそのくせ向こうの人の悪口も言うよな。
  • K:計算遅い、とかな。面白いことに、そういう人たちほど周りに日本人集めてるやん。それで勝手なルール作って、自分は「主」みたいに偉そうにしてさ。結局、寂しいんやと思うわ。
  • Y:やろな。俺は向こうで地に足をつけて生活してる人は、それはそれでいいと思うけど、そういう人たちは何か、宙ぶらりんっていう感じがする。キザな言い方をするなら、非日常であるべき旅を日常化してる、というところに行き着くと思う。
  • K:俺らにその人たちのことをどうこう言う権利は無いねんけどな。
  • Y:でも、俺はあの人たちの中に自分を見たというか、自分にもああなる素質があると思った。De999に一泊しかできんかったのは、それが嫌やったから。Kも思わんかった?
  • K:それは思った。そうそう、話はちょっと変わるけど、チェンマイのゲストハウスで会った怪しげな太い日本人からカパス島を薦められたって言ってたやろ。あの人、有名らしいで。俺の友達でも会ったっていうのが何人もおる。
  • Y:マジで?!確かに年季は入ってそうやったけどな。
  • K:あとさ、マラッカでYに会ったとき、めっちゃムカつく奴に会ったって力説しとったやろ。ひょろひょろの日本人でやたらなれなれしい奴。
  • Y:あーあの髪がセンター分けの。マラッカに着いたとき、バス・ステーションから3人の日本人とでタクシーをシェアしたときに一緒になった奴やな。うっとうしい位にしゃべってくるし、言ってることがな…。
  • K:東南アジア最高っすねーとか。
  • Y:そうそう、あと、やたら日本人で固まりたがりおんねん。えらい詳しいな。
  • K:そいつとシンガポールからの列車で一緒になってん。あーこいつのことか、なるほどって。
  • Y:東南アジアも意外と狭いな(笑)。結局、何で旅に出るのか、そこがネックやな。
  • K:俺は美味いもんがあって釣りができたら文句ないけど、やっぱり自分の自由な時間が欲しいからかな。本読んだり、考えごとしたり。
  • Y:同感やな。
  • K:彼女と一月の旅どっち取るって言われたら、俺は旅を取るな。そやろ?
  • Y:やっぱりそうなるよな。あとさ、俺は旅に出たいっていう底には、例のおっさんらみたいな「沈澱気分」を味わいたいっていうのもあると思うわ。「埋没」っていう言葉を使ってもいいけど。
  • K:うーん、それもあるかな。話は変わるけどさ、白人てどこに行っても朝はパンにコーヒーっていう風に自前の文化を押し通そうとするやん。タイ人に英語でどなってばっかりの奴とかさ。まぁ例外もおるけど。
  • Y:絶対屋台では飯食わんってのもいるしな。ある種、傲慢やと思うけどな。
  • K:うん。でも奴らは「自分たちの文化はどこでも通用する」みたいな自分の文化への絶対的な自信があることの現れやと思う。あれは日本人には真似できひん。日本人なら「相手の文化や生活に触れる」とか言って喜んで屋台とかに行くやん。だけど、そのくせ白人とかと一緒で、ろくに相手の文化を学ぼうとしない。
  • Y:そう言えばそやな。白人てどっか「リゾート」っていう感じで割り切ってるところがあるもんな。旅行者は旅行者、みたいに。
  • K:もちろん、「沈澱」してしまう人も多いけど。春にカンボジアに近い島で会ったドイツ人のお姉さんなんかは、一日中ビーチの長いすに寝そべって、ラジカセをガンガンかけて、酒とマリファナをずっとやってんのよ。でもその人、来月からは国連で働くって言ってた。ある意味すごいなーと思った。
  • Y:結局、どの立場に身を置いて旅するかっていうことなんやろな。でもさ、俺らって4,5日しかおらんかったのに、なんでこんなに喋れんのかな?
  • K:やっぱ旅っていう非日常な部分を共有したからちゃう?
  • Y:年くっても会ったら、こんな話、すんのかな?
  • K:それはそれで凄いことやと思うで。

19時から始まった話は尽きることなく、23時頃まで続いた。あまりにしゃべり過ぎたせいで、終わったときには顎がだるくなってしまっていた。
今回、Kとこうして話して何が一番嬉しかったのかというと、Kもあの旅を特別なものとしてとらえていたことだった。一月以上の旅の本のごく一部の時間を共有しただけなのだが、それ以上にあの旅全体についても「何か」を共有している気がしたのだ。結局、それが何なのか、まだよく分からないのだけれど。
私はふと思った。果たして、マラッカで呑むことができていたら、一体どんな話をしていたのだろうか。そして、日本で再会したときには何を語っていたのだろうか。こればっかりは分からない。でも、分かる必要すらないのではないかとも思う。
私たちはまた会うことを約束して家路についた。空には、カパス島で見たオリオンが、ここでは凍えながら瞬いていた。