末広鉄腸『北征録』

末広鉄腸 『北征録』 東京, 青木嵩山堂, 明治26(1893)年, 131p.

<本文>

末広鉄腸(重恭、1849-1896)は、政治小説で名を上げ、遂には衆議院議員にまでなった人物である(明治23年の第1回衆議院議員選挙で当選)。
末広は、明治21年から22年にかけて米欧への外遊を行っている(その際の滞在記『鴻雪録』(博文堂, 明治23年)については別の機会に取り上げたい)が、続いて25年には東アジア(韓国・シベリア・中国)へと足を伸ばした。25年の第2回衆議院議員選挙で落選した直後のことで、本書はその際の紀行文である。
この旅行の目的は、当時国内で盛んに議論されていた「シベリア鉄道建設によってアジアへどのような影響がもたらされるのか」という問題について、自分自身の目でその現場を確かめることにあったようだ。この旅行に基づく彼の見解は、『東亜之大勢』(青木嵩山堂, 明治26年)の方が詳しい。
旅行記によると、末広はウラジオストックに船で入り、そこで市街・港・シベリア鉄道を見学してから、再び海路で天津、韓国(仁川、ソウル)を経て、帰国している。どうにもつまみ食いの感がぬぐえない、およそ70余日の旅である。
末広は、朝鮮では幾度となく「汚穢」という形容詞を用い、ウラジオストックではロシア政府の「腐敗」を糾弾し、中国では天津の盛況ぶりに感嘆している。ここで、中国のことを悪し様に書く旅行記が多かった中で、末広がそのスタンスを取らなかったのが、彼の「日中提携/友好をベースにした興亜」というポリシーによるものだと思われる点は興味深い。また、各地の経済状況に関する記述が多いのも特徴的だ。『東亜之大勢』の中で末広は、シベリアや中国、朝鮮への積極的な経済的事業への進出を説いているが、この旅行記にも彼のそういった視点は窺える。
とは言え、『北征録』は、読み物としては決して面白いというものではない。本書は、しかしむしろ、末広鉄腸という自由民権運動の旗手として名を馳せた作家が、次第にそのスタンスを<国権論>へと移していった過程の一つの産物として位置づけられ、読まれ、研究されるべきものなのかもしれない。ちなみに、末広は、本書刊行後の明治27年の第3回衆議院議員選挙で復活当選を果たしたが、29年に現職のまま病没した。

<参考文献>

末広鉄腸研究

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