金尾種次郎『川上音二郎貞奴漫遊記』

金尾種次郎 『川上音二郎貞奴漫遊記』 大阪, 金尾文淵堂, 明治34(1901)年, 85丁.

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壮士芝居(書生芝居)で人気を博した川上音二郎(1864-1911)は、明治32年から明治34年にかけて妻で看板女優の貞奴(1871-1946)を含む「川上書生芝居」一座19名を率いての欧米巡業に赴き、サンフランシスコ、シアトル、シカゴ、ボストン、ワシントン、ニューヨーク、ロンドン、パリなどで公演を行った。「政治上の失敗」(川上自身の衆議院選挙落選)と「劇界の腐敗」に憤慨して、これらを改めるために欧米の演劇を研究して、社会を元気にしようとしたことがこの巡業の由来と書かれているが、正直なところ、読んでもよく分からない理由である。金銭的にも厳しい状況にあったようなので、一発逆転を狙ったというところが実情に近いのかもしれない。
ともあれ、日本人の俳優としては初の欧米巡業である。川上たちは、試行錯誤を繰り返しながら欧米人に受ける演劇のスタイルを編み出していった結果、パリ万国博覧会での公演やバッキンガム宮殿での公演などの華々しい成功を収めることになった。一方で、金に困って同行の子弟(川上磯二郎・ツル)を現地に残して行ったり、収益を持ち逃げされたり、団員(丸山蔵人、三上繁)が病死してしまったり、川上が病で倒れたりするなど、その軌跡は波乱万丈だったようだ(ニューヨークの俳優学校を視察した際にはその充実ぶりに感嘆しているが、これが後に川上が創設することになる帝国女優養成所へと繋がったのだろう)。
本書は、明治34年1月から3月にかけて『中央新聞』に連載された巡業談をまとめたもので、ほぼ同時期に巡業中の日記をまとめた『川上音二郎欧米漫遊記』(金尾種次郎著, 金尾文淵堂, 明治34年)も出版されている(こちらには、]http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40075128&VOL_NUM=00000&KOMA=52&ITYPE=0:title=上演脚本も一本収録])。著者の金尾種次郎(1879-1947)は明治〜昭和の出版経営者で、発行元である金尾文淵堂の創業者。
川上は新派劇の基礎を築いた人物として後に評価される人物であるが、その根っこにはこの欧米巡業があったことは間違いないだろう。ちなみに、川上はこの後も二度の海外巡業を行っている。