村田清平『蒙古語独修』

村田清平 『蒙古語独修』 東京, 岡崎屋書店, 明治43年(定価25銭).

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日露戦争後の日本の日本にとってのモンゴル(蒙古)の重要性は、ここで語るまでもないことだろう。しかし、モンゴル語は日本人に馴染みづらかったのか、他の言葉でもある程度は代用できたからか、日本人向けの辞書、特に日用語、会話を収録した簡便なものの編纂は立ち遅れていたようだ。
そして、その辞書を作ると決めて、完全に日本の影響下になかったモンゴルに潜入したのが、陸軍兵士の村田清平である。何でも、日露戦争の際、ロシアは食糧用の牛馬をモンゴルから得ていたことから、今後はモンゴルの実情を知る必要があると感じたとのこと。1906(明治39)年2月から翌年4月にかけてモンゴルを踏査し、帰還後、本書を著した(地誌も付されているのが特徴的)。ちなみに、調査中につけていた詳細なメモは馬賊に襲撃された際に紛失してしまったため、この辞書は記憶を頼りに作成したという。
そして、本書の刊行と時を同じくして、王府付の家庭教師とスパイという二つの顔を持っていた河原操子が編纂に関わったといわれる『喀喇沁王府 蒙文讀本巻一〜三』(明治40年、大日本圖書株式會社、早稲田大学図書館所蔵)が、ついで東部蒙古科尓心博王府教師の小川庄蔵が編纂した『日漢対照蒙古会話 全』(明治43年参謀本部早稲田大学図書館所蔵)が刊行されている。
大正時代に入るとモンゴル語の本格的な辞書も登場するのだが、その礎の一つとなったのは、若い無名の兵士の冒険だったのだ。明治の辞書には、そんなエピソードが数多く隠されている。