写真展「鴻爪」@阿佐ヶ谷

少し先の話ですが、昨年度に引き続き、地元阿佐ヶ谷にて写真展を(身の程知らずにも)開催します。

「鴻爪−KOUSOU」
期間  :11月1日(土)〜15日(土) 9:00-21:00
場所  :コイデカメラ阿佐ヶ谷店フォトスペース

* Art work by trinograph

ここ10年間の旅先で撮りためた写真から、10枚ほど選んで出す予定です(ラオス、インド、バングラデシュ、ラダック、ミャンマー、バリ、中国、ウズベキスタンスリランカなど)。
ところで、タイトルの「鴻爪」は、中国・宋の詩人蘇軾(東坡、1036-1101)の詩が出典になっている言葉で、渡り鳥(が雪や泥の上に残した、しかしすぐに消えてしまう)の爪あと、転じて旅した痕跡を留めることという意味で、更に転じて「旅行記」という意味でも使われました(「雪泥鴻爪」で、人生のはかなく跡形の残らないことのたとえにも用いられます)。

出典となった詩は、彼が25才の時(1061年)に作ったものですが、旅の機微をよくとらえた詩なので、ここでも紹介しておきたいと思います。(参考;小川環樹・山本和義『蘇東坡全詩集 第一冊』 筑摩書房, 1983年)。

蘇軾 「和子由澠池懐旧(子由の「澠池懐旧」に和す)」


人生到処知何似  人生 到る処 知んぬ 何にか似たる
応似飛鴻踏雪泥  応(まさ)に似たるべし 飛鴻の雪泥を踏むに
泥上偶然留指爪  泥上に偶然として指爪を留む
鴻飛那復計東西  鴻は飛んで那(なん)ぞ復(ま)た東西を計らん
老僧已死成新塔  老僧 已に死しして新塔を成す
壊壁無由見旧題  壊壁には旧題を見るに由(よし)無し
往日崎嶇還記否  往日崎嶇たること還(な)お記するや否や
路長人困蹇驢嘶  路長く人困じて蹇驢嘶(いば)えるを


人生という旅は何に似ているだろうか。それは雪や泥土の上に舞いおりた渡り鳥の足にも似ている。
渡り鳥が泥の上にたまたま爪のあとを残しても、飛び去ってしまうと西にいったのか東にいったのかももうわからない。
老いた僧はなくなって今や新しい墓石となってしまっているし、くずれた壁に書きつけた僕らの落書きはさがすこともできない。
君はあの日の苦しい旅をおぼえているだろうか。路の遠さ、つかれた人々、くたびれたロバの嘶きを。

因みに、昨年の写真展については↓をご覧ください。
Traveling LIBRARIAN:http://d.hatena.ne.jp/yashimaru/20070828
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