緒方惟孝『魯語箋』

緒方惟孝 『魯語箋』 函館, 開拓使, 1873(明治6)年.

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緒方惟孝(1845-1905)という人物をご存知だろうか?
大阪薬剤師会会頭も務めたこともある明治時代の大阪の名士である、と言っても殆どの人は知らないだろう。むしろ父親の方が有名かもしれない。父親は大坂で適塾を開いたあの緒方洪庵である。
この緒方惟孝の前半生が、面白い。
彼は、越前や長崎で蘭学や西洋医学を学び、開成学校などで教鞭を執った後、1865(慶應元)年、江戸幕府の「遣露伝習生」としてロシアに留学しているのだ(ちなみに、兄の惟準はオランダに留学している)。帰国は、兄弟ともに1868(明治元)年。帰国すると、江戸幕府が倒れていたというわけだ。

さて、帰国後の惟孝は、官吏として活躍する。新潟への赴任を経て、1872(明治5)年には開拓使に転じて、函館に移る。ここで彼は函館学校魯語科(函館魯学校)の教壇に立つのだが、そこでその教材として作成したのが本書である。上下2冊構成で収録語は3,000語を超えるというボリュームで、ロシア語の単語とその和訳・読みを記したシンプルな構成だが、彼の留学の成果が存分に生かされたに違いない。
なお、ロシア語の語彙集レベルのものは、本書を含めて、江戸時代から明治時代にかけて作られた(『魯西亜単語篇』(山本松次郎著, 長崎晩成舎, 1871年)など)が、本格的な辞書の登場は『露和字彙』(文部省編輯局, 1887年)を待たねばならなかった。
江戸幕府は積極的に若手の幕臣を海外に留学させて海外の事物の吸収に努めたのに、幸か不幸か、その成果が実を結んだのは明治時代になってからだったところ。明治時代の外国語学習は江戸時代の成果を基盤として発展していったのだが、本書もそんな時代の皮肉が伺える味な一冊だ。

惟孝は、その後の1888(明治20)年、兄が大阪に開業した緒方病院を手伝うために官を辞して郷里大阪に戻り、薬剤師としての道を歩むこととなった。

参考文献;