青木敏郎『ベ−リング海オホ−ツク海沿岸旅行記』

青木敏郎 『ベ−リング海オホ−ツク海沿岸旅行記』 東京, 金港堂, 明治38(1906)年, 179p.

<本文>

日露戦争直後に出されたこの本は、青木敏郎という人物の千島旅行の顛末である。
明治36年5月、青木はかねてからの宿願だった北方での調査に乗り出すべく、友人と謀って横浜・函館・カムチャッカと船を乗り継いでベーリング海を分け入って行った。本書を読んでいると、当時のこの辺りは、現地の原住民やロシア人ばかりでなく、一旗上げようとして乗り込んできていた日本人やその他外国人が入り乱れるメルティング・スポットだった様子がよく分かる。彼らの目当ては、オットセイやサケ、ニシンなどの海産物やラッコ、クマや黒貂などの毛皮類が中心だったようだ。
青木は、彼の地の片田舎ぶりにあきれながらも、各地の地誌ばかりでなく、官吏の腐敗っぷり、教育機関の乏しさ、極寒の冬季の旅行術、日本人には殆ど馴染みのなかった原住民など、祖国に有用であろう情報を真面目にルポをしている。そして、最後に、開発と動物類の保護の必要性を説き、文章を結んでいる。彼が帰国後、どのように千島・カムチャッカに関わっていったのだろうか。その後の動向を追うことができないのが残念だ。
さて、彼はルポばかりでなくしっかり儲けもしていたらしい。函館に本拠を置くロシア系と思しき商会と組み、日本の茶や砂糖などの雑貨類と引き換えに、毛皮類をたんまり持ち込んだらしい。ともあれ、日ロ漁業条約が公布される2年前に無名の青年が身体を張ってまとめたこの旅行記は、当時の北方の盛り上がりが感じさせてくれる。