依光方成『三圓五十銭世界周遊実記』

依光方成 『三圓五十銭世界周遊実記』 東京, 博聞館, 明治24年(1891年), 214p.

<本文>

明治の貧乏旅行者と言えば、中村直吉や、ここでも以前に紹介した中村春吉が比較的有名だけれども、貧乏旅行ということでは二人の先輩になる土佐出身の依光方成も忘れてはいけない。依光は同志社で勉学していたのだが、明治18年の春、3円50銭ばかりを握りしめて世界一周を企てた。6年来の宿願だったらしいが、その趣旨が面白い。少し長いが引用してみよう。

我が邦人の海外に航するもの頻々踵を接するの有様なるも彼等はみな学術研究の為めにあらざれば制度の取調の為に外ならず、彼等が企つる漫遊は只社会の上層を見渡し、彼土外面に於ける豪奢の風、華装の様を見聞するに止り、未だ何人も彼土の下等労役社会に於ける状態を歴探し、裏面的風俗の笑ふべく、悲しむべく、哀むべく、怒るべく、泣くべく、嘲るべく、罵るべきの事実を我が同胞に報道したるものあるを聞かず。予不敏と雖も希くは奮て之か歴探を遂げ、彼土紅塵万丈の裡に隠秘せる下層の事実を看破して之を我国文野の現況に比べ、聊か我が国浮華の熱情を和らげ、我が社会の耳目を覚洗せんと期したり・・・

この言葉通り、この旅行記は道中の面白話よりむしろ、訪れた街や国を歩いて見聞した一般庶民の生活を活写することに重きを置いている。しかし、この旅行記で依光が伝えたかったのは、各章の終わりで述べられる彼の、「日本は欧米に倣って産業を盛んにし、旧態然としたアジアを牽引すべきだ」という使命感に満ちた主張であろう。事実、彼はこう言って帰国を決めている。

時々自ら惟へらく、如何に長く留りて人情を察するも別に時日の割合に其利を得ざるべし、寧ろ速かに帰朝して我国将来の方向を論ぜんに如くはなしと遂に英国船に投し、南洋諸嶋を経て昨年三月朔日郷国なる土佐に帰りたりき。

そして、彼が最後に「如何にして我国今日の地位を高むべきや」という章で記した内容は、今も傾聴に値する点もあるかと思う。

  • 欧米各国が殖産興業に成功したのはその「企図心」による。
  • 日本も今は国を挙げて殖産興業、アジアをはじめとする海外諸国との交易に励むべきである。
  • そのためには、日本人もアジアのことをもっと知らなければならない。
  • 欧米列強はアジアに進出しているが、しかし、真の強敵であり親友でもあるのは隣国である中国である。

中国、東南アジア、インド、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアを巡る働きながらの4年間の旅。帰国後の依光の事跡は、残念ながら伝わっていない。
ともあれ、明治という時代は、バックパッカーも前のめりに熱かった時代なのだ。