プラウ・カパス(2)

 4:00すぎには切り上げて、バンガローへ戻った。オフシーズンで暇そうなビーチボーイ達とビーチで蹴鞠をして、自分の下手さ加減を暴露してから、シャワーを浴びた。と、その時、向こう岸にクアラ・トレンガヌの方から重たい雲が急に湧き起って15分もしないうちに、この島の晴れた空がその雲で覆われてしまった。そして、スコール。直撃はこの旅初めてだった、あまりの激しさに閉口してしまった。こんなのが毎日(季節によっては、だが)降られたらたまったもんじゃない。「今日でもう終わりだよ。明日からは降らない」1年前、クアラ・ルンプールからやってきたという、ボブ・マーリー似のビーチボーイが断言した。「何故?」「もうレイニーシーズンが終わる」これが経験ってやつか。

 3人でG.H.の食堂で夕食を済ませた後、外へ出てみた。天の川だった。スモークで曇って何も見えなかったタイとは違った。誰もいないビーチで、もう1人の奴をほったらかして、語り合ってしまった。音楽のこと、奈良のこと、旅のこと、本のこと、人生のこと、彼女のこと、そしてビバリーヒルズのこと。「自分、この旅の中で最大のヒットやで」嬉しかったし、僕もそう思った。
 次の日(3/8)の朝、もう1人の日本人は帰っていった。彼が帰った後、遅い朝食をとった。そして昼迄シュノーケリングを楽しんだ後、Kは釣りに行った。岸壁にかかる白い橋の途中にある東屋で本を読んだ。遠くで聞こえる規則的な浜辺へ打ち寄せる波の音と、東屋の下の岩場に当たって砕ける不規則な波の音のハーモニーが心地よかった。後、Kの釣りを暫く眺めてから、2人でG.H.へ戻った。

 G.H.の前のビーチで夕陽を見た。対岸のクアラ・トレンガヌにはもう明かりがついていた。まだ即位祭の電飾を外していないらしく、ド派手だった。「明日、やっぱり出るわ」僕が言った。「そうやな」「俺は十分。たまに寄るのにはいいけど、ここに長く居続けられへん」「やっぱり俺ら日本人やな」そうかもしれない。このバンガローにいる客は、みんな西洋人だった。子供連れ夫婦、親子3人組(子供は30歳位の兄ちゃん)、カップル2組、女の子1人旅、みんな何週間もここにいるみたいだった。「じゃあ、10:00に出るか」必死で女の子をナンパしてたビーチボーイを横目に食事をとった後、また散歩に出かけた。僕は南十字星が見たかったのだが、見えたのは昴だった。谷村新司のあの顔が、“昴”の歌と伴に脳裏に浮かんだ。「明日お別れやな」「よし呑もう」ケイタはビールに目がなかった。だが、どこを探しても、この島にビールは一本も無かった。さすが「イスラム」の国。
 次の日(3/9)、宿代を払おうとした時、とんでもないことに気付いた。宿代は勿論ワリカンなのだが、昨日帰った奴から初日の割り当て分、徴収するのを忘れていたのだ。相変わらず気の短い僕は、瞬間にブチ切れてしまった。ケイタもボヤキモードに入ってしまった。日本ではたかだか180円位のことでも、こっちでは一大事なのだ。と、ビーチボーイの1人が近づいてきたと思ったら、6M$差し出して一言。「彼から預かっていた」「はよ言えや!」と叫びたくなる衝動を我慢して、とりあえず損することはなくなったという事実は、僕達の顔を和らげた。「あいつもええ奴やったな」と笑顔で言ったものだ。丁度対岸の方へ遊びに行くという、子連れ夫婦とビーチボーイ2人と、ついでに船に乗せてもらい、カパスを離れた。ボートの中でのビーチボーイの一言。「おまえは最初マレー人かと思った。Kはチャイニーズ」またか。