チェンセーン(2)

 やっとこさ寺(ワット・プラタート・チョーム・キティ)に着いた。地方の名刹、といった感じで非常に落ち着いた雰囲気だった。チェンセーンの街、メコンを望む素晴しい眺め、そよ風の絶えない木陰、どれをとっても最高だった。着いたのは12:00頃だったが、昼寝したり本を読んだりしているうちに、気付いたら2:00近くになっていた。石畳の冷たさが余りに気持ち良すぎて時間が経つのを忘れていたらしい。ふっと振り返ると、山を登ってきた時ベンチに腰かけて本を読んでいる男がいたのだが、彼がまだ同じ姿勢でそこにいたのだ。彼は白い、寺男の様な服を着ていたが、どうもそれらしく見えない。何か都会のサラリーマンといった感じの男だった。僕はひどく彼に興味を覚えたので、近寄って彼の側の手洗い用の水の入った壷を指して「これを使っていいのか?」と尋ねた。彼は「ああ、いいよ」と答えた。僕がその水で手を洗っていると、彼が「旅行者か?」ときいてきた。それから暫くどこから来た、とかありきたりな会話をしていたが、5分程して、僕は彼に質問した。「あなたは坊さんに見えない。何者なのだ?」と。「私はチェンライから来た。私はチェンライでサラリーマンをやっているんだ」「じゃあ何でここに?」「瞑想するためさ」「仕事は?」「一週間の休みをもらってる」その瞬間、少なからず僕はショックを受けた。タイの仏教徒は、現代の人の中でも生きているのだ。

 少しして山を下りた。下りると登る前より更に日差しが強くなっている気がした。岡のすぐ前に喫茶店があったので、タイに来て以来病みつきになっている激甘コーヒーが飲みたくなってそれを注文したら、何と「無い」と言われた。致し方なくスキムミルクみたいなのを飲んだが、それには氷も入ってなくて、しかも何か黒いゴミが浮いていた。僕はそれを無理に流し込んだ。
 夕方、メコン沿いの展望台(といっても道路の側に屋根とベンチがあるだけ)でボンヤリとG.T.から帰ってくるドイツ人らしき観光客を乗せたボートが次々に到着するのを見てたら、僕が来る前からいた日本人の女性2人がしゃべりかけてきた。きくと、2人ともK大生だという。僕は久々の関西人との遭遇、そして相手が女性、ということで多少うかれてしまい、冗舌になってしまった。2人は同級生だが、1人は明日ラオスに入り、もう1人はもう暫くここに残るという。ラオスへ行くという方が言った。「一緒に晩御飯食べませんか?」断る筈が無かった。久々に人と食べる晩御飯も楽しかったが、何より人数がいると、それぞれ御飯だけ頼み、あとはおかずばかり。何品もみんなで頼むという様に、品数が増えるというのが嬉しかった。ちなみにその時のメニューはイカと野菜の醤油味(しかも味の素!)の炒め物と、でっかいナマズみたいな魚と春巻きと焼き卵(文字通り殻ごと焼く。黄身は半熟)と御飯だった。件の2人とは2時間ほどしゃべっていたが、話の流れで、明日例の展望台から朝日を見よう、ということになった。5:30頃から7:00まで凍えながら朝日を待った苦い思い出を教訓に、6:00すぎに展望台に集合、と約束してその夜は別れた。

 6:20、まだ眠い目をこすりながら展望台に歩いていくと、2人はもう来ていた。「まだですね」「ねぇ」と言葉を交わして欄干に腰かけた。タイは夕方もそうだが、明け方も地表近くに物凄いスモークがかかる。だから30分位立って周りが桃色に染まってきても、明るさから判断するに、絶対にもう太陽は顔を出している筈なのに、姿は見えない。「出ませんね」「もう少し待ってみましょう」眼下をタイの派手な観光用ボートや、ラオスの地味な長い船――おそらく漁船だろう――が行き交う。

 その時、「あ、出た」スモークの中から不意に丸い玉が顔を出した。あまりに突然だった。僕はその神秘的な光景に言葉を失った。そして、更に太陽の高度が上がると、朝日の光が川面に真っ直ぐ、しかも僕の所に向かってくるかの如く、鮮やかに映えた。

  暁の 一つ目小僧 不意に出で 長き舌もて 川面を舐めり

オソマツ。