天国に一番近い場所

 ワット・プーまではチャンパサックから7-8km。自転車で1時間程度の距離だ。一本道だから迷う心配もない。空はどこまでも青く、白いでっかい雲が編隊を組んで流れていく。街を抜ければ道の脇にポツポツと家があるばかりで、両手に地平線を抱えて走ることができる。学校帰りの子どもたちにムキになって競り勝ち、年甲斐もなく悦に入る。
 気づけば、一度もペダルをこぐ足を休めることなく、ワット・プーに着いていた。

 水牛がのんびり顎までつかる人工池の傍を通り、小屋で昼寝していた係員のおばさんを起こして入場料(5000キップ)を払い、隣のレストランに自転車を置かせてもらって、いよいよ中へ。
 まずは100Mくらい続くリンガの残骸が並ぶ参道を抜け、次いで南と北の宮殿の間を通っていくと、ようやく階段にたどりつく。階段は急で、しかもかなり傷んでいるので、四本足を使って何とか登っていく。まだ遺跡保存の手が入っていないのだ。ところどころ梯子が組んであるのがせめてもの気遣いといったところか。階段は、まるでアーケードのようにドクチャンパの木に覆われている。八分ほど登ったあたりで、ふと気配を感じて頭を上げた。
 人だ。少女が花を摘んでいた。よく見ると、もう少し上の方にはまだ他に2-3人の少女が同じ様にドクチャンパの花を摘んでいた。
 何のためだろう。一息に階段を登り切ると、答えが待っていた。
 彼女たちはその花でレイを作り、一日何人来るか分からない旅人にそれを売ろうとしていたのだ。女の子は10人もいただろうか。彼女たちの親にしては老けた夫婦が何をするということもなく木陰に座り込み、数人の屈強そうな若い男たちが上の山から切り出した木をかついで、僕が今登って来た階段をしっかりした足取りで下りていった。宮殿跡の裏手に小さな小屋があったので、彼らはそこの住人だったのかもしれない。
 階段の脇の木陰から、自分のたどってきた道を見下ろした。遠くにメコンの流れやチャンパサックの集落も見える。吹き上げる風が汗を乾かしてくれた。その時、肩をたたかれた。振り向くと、少女の一人がレイのために摘んだドクチャンパの花を一輪、差し出していた。
「サバイディー(こんにちは)」
「サバイディー、コープチャイ・ライライ(こんにちは、ありがとう)」
 思わず少女の笑顔につられてしまった。

 麓のレストランで店の一家や近所の人たち、そして何組かの旅行者と1時間ばかりまったりやっていたところ、北の空から嫌な雲が湧きつつあるのに気付いた。そういえば、風の匂いも変わってきていた。これは、過去の東南アジアの旅ですでに経験している。間違いない、スコールだ。挨拶もそこそこに僕はレストランを飛び出し、時おり通るトラックの巻き上げる砂塵も何のその、目いっぱいのスピードで自転車をこいだ。もしかしたら、"Born to be wild"なんかを絶唱していたかもしれない。ゲストハウスのテラスに駆け込むと、5分もしないうちにバケツをひっくり返したような雨になった。
 テラスで駄弁っていたおっさんたちが「ラッキーだったな」と話しかけてきたので、翌日に行く予定にしていた、さらに南、カンボジア国境近くのシーパンドン("4000の島"の意味)と呼ばれるメコンに浮かぶ島々へのアクセス情報を集めることにした。明らかに暇を持て余していた彼らの親切な情報によると、どうやら一度対岸の村に戻って国道13号に出てバスをつかまえるのが一番良いらしい。船だと一日がかりだが、バスだと数時間とのことだった。
 未経験のメコンの船旅か時間か。どちらにするか迷っていたところ、僕がテラスを出た時には余裕の表情でコーラを飲んでいたカナダ人(彼とはチャンパサックへのバスで一緒だった)のロイがびしょ濡れになって戻ってきたた。ひどかったねぇと喋りかけるとロイは、「すぐにシャワー浴びてくるよ」と言ったので、僕はそこで練りに練った一言を繰り出した。
"Do you take a shower two times !?" 
 一雨あって涼しくなった夕方、テラスで本を読んでいると、お札で飾り付けた小さな山車にステレオを積み、大音量で音楽をかけ、蜂蜜入りのラオ・ラーオを呑みながら踊り狂う10人ばかりの集団が前を通りかかった。彼らは自分たちが呑んだくれているだけでは飽き足らず、通りすがりの人たちにまで酒を強要していて、僕もなぜか分からないままに握手され、抱擁された。やがて、彼らはどこかへそのまま去って行ってしまった。何でも祭りが近いらしい。自分の中を一陣の狂風が吹き抜けたようだった。

 翌朝、朝食を終えて、メコンの対岸へ連れて行ってくれるバスでも待とうかと思っていたら、ゲストハウスの奥さんが「まだ宿代を貰っていない!」と言いだした。
 そもそもこの宿は、絵に描いたように強欲そうな奥さんと、見るからに気の弱そうな旦那の二人で経営しているのだが、この奥さんときたら、「冷たい」と言いつつ平気で常温のフルーツシェイクを出すような手合いで、はなから信用できない感じではあった。実際、宿代は先払いだったので無視していたが、奥さんがしつこく食い下がって来るので、昨日払ったときに側にいたロイを証人に立てて反論した。 それでも奥さんは「帳簿に載ってない」(ラオス語だったので、推測)と勝手なことをさらに凄い剣幕で叫び、旦那な申し訳なさそうな顔をしてこちらを見てくる。僕はずっと「I don't know」でつっぱねていたが、どうにもこうにも居心地が悪くなってきた。
 折しも、ロイが船でメコンを下るためにトゥクトゥクをつかまえて船着場に行こうとしていた。僕は、渡りに船とばかりにそれに飛び乗り、結果としてシーパンドンに船で向かうことになった。

 1時間ほど遅れて、船がやってきた。
 船も、バスと同じように様々なヒト・モノを満載にしてメコンをのんびり下っていった。乗客は、僕とロイと、スウェーデン人の女性2人組―ビクトリアとカイザと名乗った―以外は、ラオス人。しかも、みんな大きな荷物を抱えていた。パクセーでいっぱい買い込んで自分の村へ帰るのだろうか。 風が気持ちよく、そして眺望も良いだろうと思って、僕たち旅行者は屋根に陣取った。しかし、ラオス人は、遅れて乗って来た人以外はみんな中へ。その理由はすぐに分かった。
 昼を過ぎると、太陽は最も激しく照りつける。船のトタン屋根は熱せられ、そこに座る者はまるで鉄板の上にいるような状態になる。こうなると、眺めも何もあったものではない。僕は積み荷のゴザの上に避難し、頭にタオル、長そでと装備を整えた。同じように最初は余裕をかまして、"The River …"などという詩を作っていたロイ―もっとも、かなりのスランプのように見えたけれど―も、身体にパラオを巻きつけていた。ちなみに、ビクトリアとカイザも屋根の上に張られた小さな幌の影に他のラオス人と一緒に入り込み、(そしてアグレッシブにも)船がどこかの村に停泊するたびに、そのままメコンに飛び込んでいた。

 太陽がようやく西に傾くようになると、さすがに快適な船旅になってきた。
 それまで青かったメコンは表情を変え、次第に深い緑になってくる。やがて、西の空が赤く染まりだすと、メコンはその薄赤い色と、東の真っ青な空の色とが深緑のメコンに溶け込んで、水面はまるでミルクをこぼしたかのような色に変化する。そこを切り裂いて、船が進んでいく。増えた島影や夕方の漁に出ている小さな船の間を、うまくすり抜けてながら。
 僕はあまりの美しさに、こここそが天国に一番近い場所なのかもしれないと思った。