トンレサップ・クルージング

 私の友人がタイ・ベトナムカンボジアを周遊する卒業旅行から帰ってきたときのことだ。自分はラオスへの単独卒業旅行直前だったので、参考までに色々と話を聞いていたのだが、その中で彼が語った一言が私のハートに突き刺さった。
プノンペンからシェムリアプまで船で行ったんやけどさ、めっちゃ良かったで」
 船の屋根に座ってインドシナの風を全身に受けながらのトンレサップ湖をクルーズ…考えただけで鳥肌が立った。たまに両川岸からポルポト派の残党が船を銃撃したり、船が沈んだりするらしいけどな、と彼は付け加えていたが、それはもう私の耳をにスルーしてしまっていた。もっとも、それらの話にしても、(過去には実際にあったのかもしれないが)安宿でよくある「俺の知り合いの知ってる奴がね…」という程度のバックパッカー伝説の一つにすぎないのかもしれないのだけれど。
 とにもかくにも、すでに書いたように私たちはプノンペンから入国したのだが、この日はいよいよクルージングだ。前日のうちに購入しておいたチケットを手に指定された船着き場に来てみると、船が一艘横づけされていて、そして多くのご同類が続々と集まってきていた。
 船はかなりボロかったが、それは想定の範囲内だった。むしろ想定の範囲外だったのは、その搭載人数だった。正規の適正人数ということで考えれば座席分の20数人ということになるのだろうが、当然ながらそれでは済まない。屋根の下では通路にでかい籠を抱えたおばさんが何人も乗り込み、そして屋根の上にはびっしりと旅行者が陣取った。みんな考えることは同じらしい。けれども、どう見ても、適正人数の倍である。
「これ、ほんまに沈むんちゃうか…」
 ノリオやケンタロウは当然の懸念を表明していたが、強引にこのルートを設定した私としては、この期に及んで尻込みするわけにはいかない。それに、ラオスメコンを下った時の船よりは格段にランクが上だ。
「東南アジアなんてこんなもんやろ」
 私はこう嘯いたものだった。
 船は人と不安を満載してトンレサップ川を遡っていった。「高速」という触れ込みだったが、それほど「高速」でもないので、屋根に座っているとちょうど良いくらいの気持ちよさだ。おまけに、空も薄曇りでコンディションとしても申し分ない。
 出発して1時間もすると河川から湖に入ったらしく、それまで両翼にせまっていた岸が遥か彼方に消え去り、だだっ広い水平線の中に突入した。最初は流れる景色を楽しんでいた私たちも次第に飽きてきて、寝ころんで昼寝したり、エンジン音でかき消されないように普段より大声であれやこれやと話したりして時間を潰した。
 数時間後、再び岸が両翼に迫ってきた。けれども、プノンペン周辺とは趣きが違うのでよく見てみると、それは水上集落だった。この辺りの人々は、湖上に家屋を構えて生活をしているというのをどこかの紀行番組で観たのを思い出した。ここまで来ると、シェムリアプも近い。
 そして、8時間のクルーズを終えて馬鹿になった耳に指を突っこみながら船着き場に降り立った私たちを待ち構えていたのは、必死の形相で食い扶持を捕足しようとする客引き諸氏だった。ついに、アンコールワットのお膝元・シェムリアプに到着したのだった。