プノンペンの陽炎

 パトリス・ルコントPatrice Leconte)というフランス人が、かつてカンボジアを訪れた際にこの地に溢れる原色のエネルギーとタフな人々に魅せられて、≪DOGORA≫というドキュメンタリー映画を作った。
 この映画で、ルコントは淡々とカンボジアの街や村を流れる風景や人にカメラを向けた。しかし、マイクは向けたなかった。カメラにエネルギッシュだけれどどこか悲哀というか諦念の色を浮かべた眼差しを向けるカンボジアの人々のバックに、≪DOGORA≫というどこか東欧・ロシア的なにおいのする荘厳なクラシック音楽を延々と流した。
 私は、この映画が大好きだ。一見すると合わなそうな映像と音楽が絶妙に絡み合って、彼の地の空気感が再現されている。何年か前に友人からすすめられて観たのだけれど、DVDが再生された瞬間から映像の中に引き込まれてしまった。そして、プノンペンを思い出した。

パトリス・ルコントのドゴラ [DVD]

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 旅に戻ろう。
 朝の飛行機でバンコクからプノンペンに入った。なぜ直接アンコールワットに最寄の街であるシェムリアプに行かなかったというと、一足先にアンコール・ワットに行った大学の友人から、プノンペンからシェムリアプまで船で行ったというのを聞いて、自分も乗ってみたくなったからだ。だが、このことはノリオにもケンタロウにも言わなかった。二人が何も知らないことをいいことに、シレっとバンコクに一泊もせずに、しかもプノンペンIN-OUTの航空券を取ってしまったのだ。バンコクの夜遊びなんかいつでもできる(ちなみに、ケンタロウとはこの半年後にバンコクに行くことになるが、その時に「なぜ前回バンコクに連れてこなかったのか」と詰問された)。
 そうまでしてたどり着いたプノンペンは、ただただ暑かった。適当な安宿に拠点を定めて、中央市場に行ってみたり、王宮の方へと散歩してみたりしたが、これではのんびり街歩きとはとてもいかない。そのせいか、街の詳細な記憶自体が溶解してしまっている。
 けれど、一つ鮮明に覚えているシーンがある。
 三人でどこかの路地裏を歩いていた時だったと思う。舗装されていない道路はぬかるみ、ゴミが散乱して異臭を放っていた。
 路地の物影から、全裸の少女が姿を現した。身体は小さな肢体とはアンバランスな発育を見せ、そしてその局部は異様に腫れていた。彼女は、締まらない奇妙な笑みを浮かべながら私たちを見つめながら横を通り過ぎ、そして陽炎のように路地の奥に消えていった。時間にすれば数十秒のことだったけれど、その間、私たちは言呆気に取られて葉を発することができなかった。
「何やったんやろう?」
「さぁ・・・」
 それは、長い内戦の末にようやく訪れた平和を享受し、そして経済的離陸を目指して躍動するこの街の陰の部分だったのかもしれない。
 少し陽も和らいできた夕方、メコン沿いの中華料理屋でビールをぐい飲みしてようやく一息つくことができた。次の日は、いよいよ船でシェムリアプを目指すのだ。