旅の位置づけ

 翌日、再び船でプノンペンに戻った。さすがに二度目ともなるとテンションも上がらない。屋根でひたすら昼寝したり駄弁ったりして過ごしていた。事件らしい事件と言えば、ノリオが脱いでおいた靴を河に落としてしまった位だ。もっとも、このお蔭で飛行機の出発までにやること、つまり代わりのサンダルを中央市場で購入するという時間潰しのタネができたので、私とケンタロウにとっては悪くない話だ。
 この低テンションには、実はもう一つ理由があったりする。どうやら、ゲストハウスのオーナーとその子分たちに連れられて夜遊びした際につまんだカエルの串焼きに何やらよろしくない雑菌が付着していたらしく、翌日からひどい下痢に悩まされていたのだ。当時の写真を見てみると、どう見ても必要以上にゲッソリして、ちょっと引き攣った笑い顔を浮かべている三人が写っている。
 その後、飛行機は予定通りバンコクを経由して関西国際空港に到着し、入国審査の際に(下痢のために)別室送りに遭うという最後の難関はあったものの、全員無事に旅を終えることができた。「どこか行かないか」というノリオの一言に、私が「じゃあアンコール・ワットへ!」とかぶせ、そしてケンタロウも乗って実現した今回の旅。紆余曲折はあったものの、アンコール・ワットにも参詣し、シェムリアプやプノンペンの街も歩くことができた。ツアーコンダクターとしても一旅行者としても満足の行く内容だったと思う。
 三人にとって、この旅はそれぞれどういう意味を持ったのだろうか。それを最後に書いて、この旅行記を終えることにしたい(断っておくと、私以外の部分については勝手な推測である)。
 ノリオは、家族で海外旅行に出かけるなど、所謂「ちょっと良い家」の生まれなので、海外自体には大きな抵抗はそもそもなかったようだ。ただ、個人旅行となるとその一歩を踏み出すのはちょっとした勇気が要る。彼の場合は、この旅がなくても遅かれ早かれ旅に出ていたと思うが、その流れが加速されたのは間違いないだろう。その後、波に乗るためにインドネシアスリランカに行ったり、或いは仕事でヨーロッパやネパールに出かけたりしている。
 ケンタロウにとっても、大きな一歩になったのは間違いない。三人とも高校の修学旅行でシンガポールに出かけているのだが、彼の場合はそれ以来の海外である。これがなければ、彼の発案による翌年のマレー半島縦断卒業旅行はあり得なかっただろう。国内ではある意味「敵なし」のケンタロウだが、これらのステップを踏まえて、ゆっくりとではあるが着実に海外での行動範囲を広げている。
 最後に、私にとっては、一つの転機になる旅だったと思う。それまでは、マレー半島初一人旅ラオス単独卒業旅行のときのように、わりとストイックな一人旅を良しとする考えに縛られていたのだが、「こういうのも悪くない」と思えたのが大きかった。ある意味、大きな「パラダイム・シフト」である。これは、ケンタロウと同じく、翌年のマレー半島縦断卒業旅行、更にはこの4年後の八重山旅行に繋がっていく(この6年後のバリ親孝行旅行もこの延長線上にあるとも言えなくはない)。
 早いもので、この旅を終えてから10年になろうとしている。ケンタロウ・ノリオとは今もちょくちょく会うのだが、10年後の今の三人ならどういう旅になるのか、それも試したい気がしている。