そして悪ノリする三人

 シェムリアプ二軒目のゲストハウスのオーナーは、まだ若い男(20代後半だったかと記憶している)だった。老舗日本人宿で修業を積んで独立、少し前にこのゲストハウスをオープンしたらしい。日本語も達者で、(恐らくどうしようもないバックパッカーを見ていて思ったに違いない)「私ハアナタヲ救エナイ」というのが口癖だった。
 ゲストハウス第一夜、そのオーナーが、それぞれに遊び疲れた私たちを、鍋に誘ってくれた。客は、私たちの他にフランス人のカップルがいただけだったから、暇つぶしだったのだろうと思う。オーナーとその子分A―俳優の中野英雄を柔和にしたようなかんじだったので、ナカノと呼んでおく―、子分B―私の記憶から完全に欠落しているのでホゲとしておく―のバイクに乗せてもらって、街外れにある地元民御用達の牛鍋屋に向かった。
 この店の売りは、牛の脳ミソ。最初、オーナーが「ぶれいん、ぶれいん」と連呼するので「どこの部位だ?」と思っていたのだが、英語でそのものズバリだったわけだ。当時は狂牛病が喧しく報道されていた時期。途中つまんだカエルの串焼きはクリアできたものの、医者の卵のノリオも真顔で「いや、これはあかんやろー」と難色を示したし、私もケンタロウもしり込みした。
 オーナー達もそんな私たちのリアクションを面白がっているようではあったが、とは言え、せっかくの好意を無碍にはできない。漫画『美味しんぼ』で羊の脳味噌を食する話があったのを励みに、何とか完食した。もっとも、味は白子のようで意外にも美味!…とはいかず、まずい白子みたいだったが(ちなみに、やや潔癖症のキライがあるノリオは、その後も何かある度に「狂牛病ちゃうか、俺」と口にしていたものだ)。
 あまり満足感が得られないままに満腹感だけを得た私たちは、次なる「予定」をこなすために、「踊る場所はないか?」とオーナーに聞いてみた。無論、ケンタロウたっての希望である。
「べとなむ・がーるガイッパイイルでぃすこナラアルゼ、ひっひっひ…」
 オーナーがニヤニヤしながら出してきた提案に、私たちは即答した。
「それ、行っとこう!」
 ということでやってきたのは、街中の一角に佇む怪しげなディスコ。中では、地元民と旅行者、そして露出の多い派手な服に身を包んだ女たちが、昔懐かしのジュリアナの音楽に合わせて踊り狂っていた。慣れた風にずいずい進むオーナーに、私たちは子羊のようについて行った。ホゲとナカノは、あまり来たことがないらしく普通にはしゃいでいた。
 音楽に合わせてぎこちなく身体を動かす私たちに、厚化粧のベトナム・ガールが絡んでくる。近くで見ると、なかなか厳しいものがあるのだが、こうなると自暴自棄である。私は無茶苦茶に身体をゆすった。するとどうだろう。オーナーを始め、やんややんやの拍手喝さいである。俺を乗っけてきてくれたナカノなどは「素晴らしい!」と心底感動した様子で握手を求めてきた位だ。盆踊りで鍛え、西洋のちょっと大人な映画を観て妄想を膨らませた貯金が生きたらしい。
 ノリオと私がそんな感じでカロリーを消費していた頃、ケンタロウは夜の闇へと消えて行った。そして、彼が戻ってきたときには、夜も明けようとしていたのであった。
 こうなると、残る「予定」は、日本語を話す婦女子だけである。けれども、宿には日本人は自分たちだけだ。となると、どこかで探さないといけない。そこで翌日、三人でシェムリアプ空港へ向かった。ここではそれ以降の記述は自粛するが、ノリオだけ『美味しんぼ』だったということは言っておきたい。むろん、ケンタロウと私のアシストあってのことだが。