メーサイ〜タチレク

 G.H.へ戻ってホットシャワー(!)を浴びてすぐ、例のお気に入りのカフェで朝食をとり、ミャンマー国境の街、メーサイ行きのバスに乗った。本来ならツーリストInnを出てメーサイ――ミャンマー国境の街というより村――へ宿を移すつもりだったのだが、チェンライで出会った日本人学生が、ツーリストInnを拠点に北部周辺をまわった方がいい、と勧めたのだ。ツーリストInnは一泊150Bと高めだったが、それ以上に快適だった。
 メーサイへは1時間半で着いた。そのバス・ステーションからイミグレーションまでソンテウに乗り換える。着いた国境はすごい活気だった。勿論、国境の町独特の或る種の妖しさも持っていた。

 とりあえずミャンマーへ入った。と、軍隊のつめるミャンマー側のイミグレーションを抜けた瞬間、明らかに空気が変った。タチレク(ミャンマー側の街の名)は国境の街だった。民族衣装を着て乞食する子供達、イミグレーションの側で何をするのでなく、じっと行きかう人を見つめる男達。橋一本渡るだけでここまで変わるとは。道路もアスファルトからコンクリートもしくは未舗装になった。男達はスカートみたいな布を腰に巻いている。人も印欧系だ。
 しかし、それだけではなかった。圧巻はバザールだった。昼間というのにすごい人だかりだ。旅行者もいればミャンマー人もいる。そして又、売っているものがすざまじい。ワシントン条約無視状態の毛皮や象牙、モデルガン、訳の分からん電化製品、日用品から土産まで、タイとは比べものにならない。その熱気にあてられたわけでもないだろうが、1時間もするうちに疲れてしまった。まだ11:00前なのに。そこでくつろげそうな喫茶店を探して少しずつ街を歩き回ることにした。
 タチレクは“国境の町”という以外、何一つ取り得が無かった。「車で一回りしないか」と誘う運ちゃんも少なかったが、コワさ半分、魅力に欠けるのが半分で、トライできなかった。結局、ミャンマーには3時間位しかいれなかった。アーリア系の人達が醸し出すエネルギーに負けてしまったのだ。遅い昼食を、風が気持ち良い、川に乗り出したバルコニーのあるメーサイG.H.でとった。この焼ソバが今回の旅で一度だけ“失敗した”と思う様な代物だったことがこの気持ち良いランチの唯一の汚点だったのは残念だったが。うるさいウェイトレス(男)のおしゃべりが気にならなくもなかったが、川の向こう側のミャンマー人の生活をボーッと見てしまった。川で水浴びする子供、洗濯物を干す女、竹を川に男達。日本でこんなことをやってたらノゾキになるだろう。でも、旅先では臆面もなくできてしまうのだ。旅人は“そこ”でせいかつしていない人間だから、時には“そこ”へ土足で入り込んで、又出て行ってしまうのだろう。気軽に。

 4:00頃、ツーリストInnに戻って驚いた。何と、シーツがかえてあったのだ。流石、日本人経営。値段以上の細かい気配りだ。ただ、下着からタオルまで撒き散らかして出かけていた僕は、恥ずかしさで少し憂鬱になった。
 またまた、例のカフェで、ロハの中国茶をカパカパ飲みながら、オムレツという少し豪華な夕食をとった後、チェンライのナイトマーケットに行ってみた。バスステーションに隣接した広場の側の50m位の通り抜けに民芸品や食べ物の屋台、露天が並ぶだけの小さなもので、観光客の数も売り子のこすっからさもチェンマイに比べたらのどかなものだった。活気という点ではさっぱりだったが、僕にはちょうどこれ位で良かったみたいだった。
 次の日(2/25)の朝、7:00すぎにバスステーションに行った。例のカフェの夫婦に、この日の朝食を食べに行く約束をしていたことが心残りではあったが、何か急にメコン川を見たい衝動に駆られて、予定を変えてチェンセーンに行くことにしたのだ。7:40、チェンセーン行きに飛び乗った。