7日目:プーケット→クアラルンプール

 朝、まだ夜も明けきらないうちに、我々はささやかな満足感を胸に抱きながら、しかしかなり後ろ髪を引かれつつもプーケットを離れた。
 この日の目的地は、マレーシアの首府クアラルンプール。いよいよ国境を越える。まずは、タイ南部の交通の要衝・ハジャイまでバスで出て、そこでバスを乗り換えてマレーシア国境へ。国境を歩いて越えて、再びバスに乗り、ようやくクアラルンプールに到着した。
 クアラルンプールでのエピソードとなれば、ヒンドゥー教の聖地バトゥ・ケイブでのこの話に触れないわけにはいかない。
 到着後、すでに夕方と言っていい時間ではあったが、移動直後特有のテンションの高さに急かされるように、我々は郊外のこの場所に向かい、その荘厳な雰囲気をひとしきり堪能した。ところが、その帰りのバスがなかなか来なかった。疲労と空腹を甘いテー・タレでごまかしながらみんなヤキモキしていた時に、シゲオが悟ったように言い放った。
「車と女は待ってたら必ず来る」
 シゲオに言われるまでもなく、バスはほどなく来たが、待ち続けるシゲオにその後女が来たという話は、私は聞いていない。

 夜は中華街で、国境越えの祝杯を上げた。中華とマレーの料理法と、かの地の食材が幸福な出会いを果たす祝福されし食の都。それがクアラルンプールだ。
 こちらの食事を、気の毒にも胃がなかなか受け付けないヒロヤは少しきつそうだったが、他のメンバーはそんなことには拘らない。タイガー・ビールをがんがんあおった。とりわけ、ビール会社に就職予定のくせに少量のアルコールで例の如く酔っ払ったケンタロウは、リクエストに応じて見事な装飾文字をしたためてくれる屋台で「ケンタロウ麦酒」と書いてもらい、洋々たる自分の前途を妄想して上機嫌であった。
 さて、今回の宿は、中華街から程近いドミトリー式のゲストハウスだった。この旅で初めての宿の形式にメンバーもやや戸惑い気味だったのだが、これも貧乏卒業旅行の醍醐味の一つ。ここに泊ろう。と私は強引に押し切った。他の宿を探すのが面倒だっただけだというのが本音なのだが。
 ただ、空き状況の関係で、4-1で2部屋に分かれざるを得なくなった。我々は、いつものようにシゲオ一人を白人女性の巣窟となっているもう部屋に「勉強」という名の下に送り込むことにした。
 その日のシゲオの日記には、「欧米人は、自己主張する」と書かれていたのだが、何が彼の身に起きたのか、いまだに分かっていない。興味もないけど。