西表島(1)

2日目、俺たちはカヤックで仲間川を遡った。ただ、これは辛い思い出でもある。

ガイドは、Hさんにお願いしていた。
インターネットでカヤックツアーを物色していたときにたまたま見つけたのがHさんの会社なのだが、彼の日本をカヤックで縦断したというその経歴と、手書きの蟹の絵を前面に押し出したホームページから滲み出ていた、何ともいえない“雰囲気の良さ”で、俺が独断と偏見で決めたのだ(後から聞いたところでは、奥さんの絵だったらしい)。
実際に会ったHさんは、そういったいかつい経歴を感じさせない、笑顔の爽やかなおっさんだった。

彼は、八重山の人間ではない。内地に生まれ、20代の頃はアメリカ大陸を中心に旅行を繰り返していたという。それがたまたまカヤックと出会い、そして日本を縦断したことで、カヤックを天職として決めたという。
日本でカヤックをやるには一番良いからということで西表島に移住してきたのが10年前。そして7年前にカヤック・ツアーの会社を設立した。その間に結婚もし、一児の父親となった。
しかし、彼は俺たちをガイドしてくれた数日後、お客さんと新城島西表島へ向けて荒れる海へと漕ぎ出したあと、行方が分からなくなった。一週間後に発見されたのは、ひっくり返ったままの彼の愛艇だけだった。

そういうわけで、今思い出しても、非常に辛い。彼のガイドしてくれたツアーが楽しかっただけになお更だ。どうにも仲間川カヤックツアーの一部始終を書く気にはなれない。ただ、カヤックの上で彼が、俺たちに語ってくれたことだけは忘れたくないので、少し書いておこうと思う。


次から次へと遊覧船が俺たちを追い越し、そして戻ってくる。それも何台かの船がピストンしているらしく、見たような船が何度も何度も船尾からサザナミ(カヤックは意外にこの横波にやられる)を吐き出しながら行き交う。
サザナミは平坦な川面にあってちょっとしたお楽しみなのだが、どうにもいただけないのが、そのエンジン音だ。静寂もヘチマもない。Hさんは、無邪気に俺たちに向かって手をふったりカメラを向けてくる遊覧船のお客たちに笑顔で応えつつ、おもむろに語りだした。

「湾曲カーブの外側のマングローブを見てください。すっかり抉れてしまってしまって、その奥の原生林がむき出しになっているでしょう。あれはね、全部遊覧船が曲がるときに出る波が抉ったんですよ。一度剥がれたマングローブを戻すのに何十年かかるか・・・。
しかも、それがここ3年で急にひどくなったんですよ。僕が来た、ちょうど沖縄ブームが始まりだした1998年頃とは、すっかり景観が変わってしまった。そして、その少し前から仲間川の遊覧船クルーズが始まったんですよ。
確かに、観光客の人たちに来てもらってお金を落としてもらうのは、非常にありがたいことです。だって、お金だけじゃなくて、島の人たちに働く場所まで作ってくれるんですから。実際、八重山の就職難は深刻です。高校を出たって、土建屋か観光業しか勤め口はないんですよね。中央からお金を取ってきて、公共事業として観光のための建設業を行うということですね。
でも、その観光のために作ったものが、人の働き場所を作る一方で、その観光の基本となるもの(=自然)を傷つけている。島の人たちは、その辺りには非常に無自覚です。だって、彼らにとってこの島の自然は、<あって当然のもの>ですから。
それでも、一度回り出したら途中でやめられないのが資本主義の中での観光開発です。自然保護のためにこの島の観光産業をやめたら、島の人たちは食べていけない。きれいごとだけでは人間生きていけないのは分かっています。それでも、ね。
その点、カヤックは自然に対して優しい。だから僕は、カヤックを使うんです。こういった感覚というは、島の人たちにはなかなか持ちづらいものだと思うんです。だから僕らみたいな移住者がもっと積極的に言って行かなくちゃいけないと思うんですよ。」