メコンの匂い


 船が目的地のムアンセーンに着いたのは、夜の8時ごろだった。メコンに浮かぶドン・コーンの東に位置する集落だ。とは言え、正直に話すと、降りたところがムアン・セーンだとわかったのは、その日の宿の看板が「ムアン・セーン・ゲストハウス」となっていたからだ。それまでは、島の反対側のムアン・コーンに向かっているとばかり思っていた。ムアン・コーンからは僕が最終的に行こうと思っていたドン・コンやドン・テットまでバスなどがあると聞いていたので、ムアン・セーンは全く頭になかった。
 ただ、船から降りた旅行者はみんなドン・テットに向かっていることは分かっていたので、とりあえずはその後ろにくっついていけば何とかなるだろう。と思うことにして、何も考えないことにした。
 夕食は、その4人でとった。ここ数日は日本語を話す機会も全くなかったので、僕の耳もだいぶ馴れてきていた。けれども、基本的には大して喋れないので、一対一の会話は何とかなっても、複数人数で不規則に言葉が交わされる会話は厳しかった。ビクトリアたちが気を遣って「私の国でも寿司が人気で…」とか振ってくれるが、明かにとってつけたようなネタでは、メコンの旅の雰囲気にそぐわない。そして、当然ながらキャッチボールも続かない。会話の足を引っ張るようで、いたたまれなかった。
 ちなみに、このビクトリアとカイザの二人組、建築学科の同級生で、大学を休学して旅をしているという。チャンパサックでは彼女たちも同じ宿に泊まっていたが、僕より2日ほど前から滞在していたらしい。そして極めつけは、毎朝ワット・プーにご来光を拝みに行っていたという。僕もそれを考えないわけではなかったのだが、電灯がなかったのと、そして何より面倒だったのでパスしていたのだ。
「あれは素晴らしかったわ」
とカイザがどこか遠くの方を見ながら話すのを聞いて、猛烈な後悔の念にかられてしまった。

 このムアン・セーン・ゲストハウスは、船着場の土手のすぐ上にある、テラスが快適で小ざっぱりしたゲストハウスだった(オーナーはなぜかドイツ語が堪能だった)。6時ごろから周りを散歩した後、テラスに座って涼んでいると、ちょうど男たちが小魚を手に漁から戻って来るところだった。子どもたちも朝の仕事から解放されてセパタクローを始めた。朝陽とともにメコンに船を浮かべ、夕陽とともにメコンで一日の汗を流す。そんなメコンに抱かれた生活は、見ている分には悪くない。
 そして9時すぎ、別のゲストハウスに泊まっていた旅行者たちも合流して、1時間半ほどボートでメコンを下った。この時も僕は思考停止状態だったのだが、降ろされた島には"Welcome to Det Island"という看板が立っていて、僕が目的地にたどり着いたことがわかった。
 僕は荷物も重いし、どこまで歩かされるか分かったものではなかったので、5人とは別れてすぐ近くのバンガローに落ち着くことにした。ここは、僕と同い年の若い夫婦―明らかに慣れてない感じだった―が経営していて、ハンモックがないのはちょっと痛かったけど、値段は手ごろな感じだった。
 けれども、この島に来て最も驚いたことは、水道も電気もないことだった。シャワーはメコンが、電灯はアルコールランプがその役割を果たしてくれる。夜は、レストランなんかではエンジンで発電したりすることもあるが、基本的に真っ暗闇だ。
 人一人寝ればスペースの半分以上は埋まってしまいそうなバンガローに荷物を放り出して、僕は早速に島の情報収集に向かった。バンガローの奥さんによると、この付近では最大の見どころであるコーンパペンの滝へは船だが、ソンパミットの滝であれば、歩いていけるようだ。船を借りる場合は、隣のレストランのおっさんのやつがこの辺りでは一番安いらしい。折よく首をつっこんできたそのおっさんからは、あわせて河イルカを見に行くツアーも勧められたが、おっさん自身も見たことがないくらい確率は低いらしいので、よした。
 ということで、この日はソンパミットの滝へ行ってみることにした。
 ビエンチャンで買ったサンダルはワット・プーの急階段で早々にダメになってしまい、急きょチャンパサックで購入したサンダルは足に合わずにゾウリズレを起こしていたので、裸足で歩くことにした。そもそもこの島は、舗装されていない砂地の道が大半なので、サンダルはなくても平気そうだった。気をつけるべきなのは、水牛の糞くらいなものだ。
 100メートルも歩かないうちに、道沿いのレストランのじいさんから呼び止められ、バナナと熱いお茶をご馳走になった。「Mr. Man」と名乗ったこのじいさん、人懐っこい笑顔と誰にでも「おまえはワシの息子だ」という人が好いというか押しが強い性格のようで、僕も「これは晩御飯を食べにこないといけないな」と思ってしまった。結果的に商売上手なのだ。
 この店に入り浸るのは後の話のことで、この時は「また来ます」とだけ言って店を出て、南へと進んでいった。同じようにMr.Manの息子になったアメリカ人大学生のアンソニーによると、ソンパミットまでは30分もあれば十分らしい。特に急ぐ必要もない。
 進めば進むほど、居心地の良さそうなバンガローが増えてくる。長期滞在の白人たちによるコミュニティのようなものが形成されているようだった。日本のガイドブックでは大きく取り上げられていなかったし、「知る人ぞ知る」といった場所だったのだろう。それでも最近は旅行者も増えているようで、至るところでバンガローが(恐らくは家族総出で)作られていて、ちょっとした建築ラッシュだった。一方で、道ではニワトリが跳ね、豚が横切り、水牛が寝ころんでいる。
 島の人々の生活は一昔前とそんなに変わらないのに、どんどんとバックパッカ―たちが入ってくる。当然、彼らはそれで現金収入を得ようとする。メコンの漁獲高が減っているのであれば、なおさらだ。けれども、この急激な生活の変化は彼らに何をもたらすのだろうか。僕たちバックパッカ―は観光地化されていない(ように見える)土地を求めて、どんどん奥に分け入っていく。これも、一種の文化侵略なのかもしれない。現地人でも旅行者でも区別なく「サバイディー」と笑顔で声を掛け合うこの島で、僕は少し複雑な気分だった。

 思ったよりスケールの小さかったソンパミットの滝の帰り道に、再びMr.Manに熱いお茶をご馳走になってから一度バンガローに戻った。
 疲れと汗が身体からじっとりと滲み出ていた。僕は、宿のオーナーたちと連れだって、メコンでの水浴びへと繰り出した。身体だけでなく、歯や服も一緒に洗った。メコンの水は、少し生臭いような、それでいて癖になりそうな匂いだった。