鳩間島

鳩間島は小さな島だ。ゆっくり回っても2時間で島を一回りできてしまう。
必要以上に曰く有り気な御獄の上に立てられた鳥居や、何やら珊瑚の残骸にしか見えない平家の残党(!?)の家の跡や、八重山の島々にはお約束の島内共同ゴミ捨て場。車にしても壊れても、そのまま放置プレイらしく、雑草と蔦に埋もれてしまっている。葉の重なり合う音に、「誰だ!?」と振り向いても、応えるのは「ベェ〜」ととぼけた声を発するヤギだ。普段なら静かな島なのだろうが、さすがにドラマ撮影のためか、どこか浮ついた空気が感じられる。島の人数より多い人間が大挙してやって来ているのだから、それも当然かもしれない。
実際、思わぬところで俳優さんに出くわす。さびれた遊園地に、ドッキリ・アトラクションがそこかしこに埋め込まれている感じだ。
ただ、居心地だけはものすごくいい。西表島のHさんも、「うまく言えないんだけど、“何か良い”んですよ」と言っていた。
小学校の前にある海へ突き出した突堤で、晴れた日に昼寝や読書をして過せばどれほど素晴らしいだろう?校庭が海に面している。授業が終われば海へ一直線だ。こんな場所に生まれていれば、俺も河童の如く泳げたのではあるまいか?いや、今からでも遅くない。飛び込みたい。
しかし、今日の天候は、ほとんど嵐だ。普通に寒い。あてがわれた部屋も、殆ど掘っ立て小屋で、隙間風が身にこたえる。

島内には一軒だけ売店がある。そこは飲み屋も兼ねていた。
今夜は明日で引き揚げる蛇化未禰と伊毛打と心ゆくまで痛飲しようと思っていたが、今日は撮影があるため5時で閉店だという。腹立たしい限りだ。ドラマの撮影と客とどっちが大事なんだ?
「なぁ、蛇化未禰」と振り返った蛇化未禰は、K西M奈美という女優を一目見ることで頭が一杯らしく、そんなことはどうでもいいらしい。伊毛打はI川遥という女優を見れたことで満足だという。蛇化未禰のK西M奈美への想いには同感する所も少なくないが、しかしそれでも、である。
蛇化未禰はあまつさえ、K西M奈美のシーンの撮影を、間近で見学したいとまで言い出した。しかも、撮影場所一帯はガードが固いから、夜陰に紛れて背後の木々の間から覗くとまで言い出した。職場では、クールというか浮世離れした落ち着きようで鳴らすあの蛇化未禰が、である。
ただ、結論から言っておくと、残念ながらというより寧ろ当然ながら、俺たちのというより寧ろ蛇化未禰の目論見は達成されることはなかった。撮影現場へはなかなか近づけず、俺たちは月明りに照らされるヤギ嬢を見かけ、戯れたのみであった。

晩飯後、おじぃが変なことを言い出す。「わしも若い頃は世界を放浪しとった」。
ところで、個人的な感想だが、概して沖縄のおばぁは笑顔で喋りかけやすいが、おじぃは初対面だととっつきにくい人が多い。シャイなだけだろうし、もちろん例外も多いのだが。
まるだいのおじぃの場合も同じだった。無口で、ちょっと話しかけにくい。しかし、芦屋雁之助みたいな顔をして、捻り鉢巻にくたびれたポロシャツに短パン、そして妙に可愛いエプロンをして厨房に立って、笑いどころたっぷりの“ええ味”を全身から出していた。
そしていきなりの“放浪”宣言である。よく聞けば、若い頃は船乗りで世界中を回っていたのだという。これをきっかけに、おじぃとの会話も弾んできた。
そして、話はやがて、ドラマの撮影のことになった。何でも、この民宿が主人公の住む家の設定だそうで、昨日はここで撮影もされたらしい。ただ、おじぃにしてみると、自分の家なのに自分がエキストラとして後姿しか映らなかったのが気に入らなかったらしい。「もう撮影には興味ない」とまで言い出す始末である。

「ところであんたら、帰りの船はどうするか決めたのかい?」とおばぁが言い出した。実は明日の日曜日というのは、郵便船が来ない日なのだ。明日の夕方に、俺以外の2人は飛行機に乗ることになっていたが、それでも何とかなるだろうと、俺たちは余裕をかましていたのだ。もっとも、俺にしてみれば、結局は他人事なので、あまり真剣に考えていなかったというほうが正解に近いかもしれない。
「さて、どうしましょう?チャーターとかできませんかね?」と、無為無策を露呈したような言葉を返す俺たちに、救いの言葉がかけられた。
「明日、里子の一家が石垣に戻ることになっとるから、それを乗せていく船に乗っていきなさい」船というのは、今日乗ってきた郵便船だという。ということは、チャーターより遥かに安上がりだ。正に「渡りに船」である。
後顧の憂いを取り除いたことに、俺らは安堵と感謝の言葉を口にしながら、あてがわれた離れに戻っていった。もう、隙間風も気にならない。安心して、買い込んでいたオリオンビールを全て片付け、心地よい酩酊を楽しんだ。