西表島→鳩間島

俺たちは、何時来るかも分からない船を、北風が吹きつける上原港に腰を下ろして待っていた。・・・八重山なのに寒いし!
次の目的地は鳩間島。人口50人程度の小さな島だ。ここへ向かうには八重山から一日おきのフェリーか、上原から毎日出ている郵便船に乗せてもらうかのどちらかしかないらしい。
島人旅人と自称していた我が愚弟から得た情報は、そんな程度だった。なので、既に西表島に居る俺たちとしては、上原から毎日出ているらしい郵便船とやらに乗り込むのが、最も真っ当な渡航方法だと思われたのだ。
それでも、M荘のおばさんが、大体10時かそこらと言うものだからここに座っているわけで、ただ闇雲に待っているわけではない。現に俺たちの他にももう一人、取材で島に渡るというライターのアニキが同じように座っている。
ところでそのアニキの目的は、何でも鳩間島を舞台にしたドラマの撮影の取材らしい。早朝に西表を出るスタッフ用の船に乗り遅れたという。しきりに「くれぐれも俳優さんたちには迷惑をかけねいでね」とか「サインとかダメだよ」とかほざいていた。俺としては、「そういう貴様は何者だ?貴様もそっち側の人間のつもりか?」とツッコミたかったところだったが、船上での円滑な人間関係を考えて、黙っていた。
しかし、海の荒れ方はなかなかのものだ。既に上原と石垣を結ぶ高速船は、欠航が決まっている(少し波が高いだけで、すぐ欠航になるらしい)。どんなに荒れても郵便船は出るとは言うものの、泳げない人間からするとこれは頂けない天候だ。
待つこと早や1時間。いい加減シビレを切らした頃に、小さな船がやってきた。まさかとは思ったが、フロントガラスに郵便の小旗を刺していることからすると、これが件の郵便船とやららしい。
そして中から出てきたおっさんが一声、「1人1000円でいいからさ」。郵便業務に加えて日用雑貨運搬も行い、そして旅行者たちを乗せて小銭を稼いでいるらしかった。

郵便や日用雑貨、そして俺たちとライターのアニキ、それから島へ帰る親子連れを乗せて、5000円を稼いだおっさんの郵便船は走りだした。
大波小波に煽られて、ボートは揺れに揺れる。操縦室の裏に隠れたお陰で波はかぶらずに済んだが、振り落とされないように必死でしがみついていなければならない。
最初は3人とも、やや腰が引け気味だったが、慣れてくると意外にこれが楽しい。タカミネが「ジェットコースターみてぇだな」といって上機嫌なのも分かる。
船は30分ほどで鳩間島に着いた。南向きの船着場だし、堤防の中に入ればそれまでの波が嘘の様に穏やかだ。
出迎えに島の人やドラマのスタッフが出てきていた。ライターのアニキではなく、船が運ぶ物資が目当てだったらしい。

宿は民宿M。昨晩、4軒ある民宿に順番に電話をかけていったが、ドラマ撮影のため軒並み断られたのだが、最後にかけたここは「狭いけど・・・」といいつつオッケーを出してくれたのだ。
後で聞いたら、ここもやはり撮影のために無条件で観光客は全て断っているとのこと。ただ、その電話を取ったのが宿のおばぁの妹さんで、自分のところの里子がいた部屋が空いていたからということで、半ば勝手に宿泊許可を出してくれたのだ。
「私が出とったら、申し訳ないけど間違いなく断ってたねぇ。」とおばぁが笑う。「お兄さんたちもドラマの撮影が見たかったんでしょ?折角だもんねぇ」と妹さんも笑う。
こちらとしては、「いや、私どもはその様なドラマには断じて興味はない。その様なミーハーではない」と主張したかったが、悪いので言い出せなかった。

この島は、「里子」で有名らしい。不勉強にも全く知らなかった。1980年代、島で唯一の小学校が廃校になりそうになったとき、都会から里子として子供を島にホームステイさせ、そしてその小学校の生徒とさせることで、小学校の存続を果たしたという。確かに、船から降りたときも、旅行者とも島人ともつかない子供たちの姿が見えたし、現に俺たちの部屋は、つい先日まで子供が住んでいたらしく、ガクランが吊ってある。
この話は本にされ、漫画化され、そして今回とうとうドラマ化までされているわけだから、有名な話なのだろう。
「子供が減る→学校がなくなる→若い夫婦が出て行く→老人だけが残り、やがて廃村」という流れを食い止めるべく、まず子供を「つれてくる」ことで、その流れを断ち切ろうとしたこの島。しかし、いずれにせよ、その子供の面倒を見る人たちの高年齢化を考えれば、根本的な解決策ではないのかもと無責任な俺は思ったりする。
この島に人が住むようになって、たかだか200年余り。一時は、数百人の島民を抱えていたという。閑かで鄙びた今の島からは、想像もできない。無理にでも残すのがよいのか、それとも流れに逆らわず元の無人島に戻るのがよいのか?どっちにせよ、通りすがりの旅人にはヘビーな問題だから、ここら辺でやめとこう。