鳩間島→石垣島→竹富島

朝8時半、郵便船がやってきた。ちょうど同じ頃、海上ロケをやるらしく、俳優やスタッフが乗り込んだ貸切フェリーが今にも岸を離れようとしていた。
このお見送りのために、里子一家から郵便船のおっさんだけでなく、島の人が総出で手を振りに来た。2日後にはまた戻ってくるというのに。
そして更に、遅れてきた軽トラから降りてきたのは、何と民宿Mのおじぃだった。昨晩の宣言はどこへやら、フェリーに手を振っている。やはり何だかんだ言っても、こんな小さな離島の人たちにしてみれば、この撮影は一世一代のイベントなのだろう。

昨日とうってかわって、空は暑い位に晴れている。波も低く、西表島までの航海も快適なものだった。
上原で石垣行きの高速フェリーに乗り換え、そして更に、離島桟橋で竹富島行きのフェリーに乗り換えた。
「俺はどうしても泳ぎたい。こんな白いままで帰って『沖縄帰り』とか言われへん
イケダがあまりにも力説するので、この日はビーチで泳ぐことになっていた。タカミネも泳ぎたがっている。泳ぎに消極的なのは俺だけなので、これでは分が悪い。
ただ、出発前に伊毛打がこうも言っていたことを、俺は忘れていなかった。
「おまえ、泳がれへんの?ビーチで水着の女子大生に声かけるときに、俺の足引っ張らんといてや。
最終日になって、伊毛打の煩悩も最終スパートに入ってきているのだろう。

兎にも角にも、俺たちは竹富島のコンドイ・ビーチへやってきた。
太陽がジリジリと肌を焼き付けているのが分かる。青い海、白い砂浜。足りないのは水着の婦女子のみ。しかし、ここまで来て泳がないわけにはいかない。
俺たちは、ビーチのシャワー室で水着を装着した。しかし、蛇化未禰のパツパツのスパッツ形式の水着はセクハラ寸前であり、伊毛打の白さもまた犯罪的である。俺が猥褻系なのは言うまでもないとして
あまつさえ、伊毛打はシュノーケルのセット一式をレンタルしてきたらしく、水かき靴みたいなのを履いてドタドタ走ってくる。伊毛打のあまりの気合の入れように俺たちは絶句したが、特にコメントはせずに、そのまま海に入った。
ところで、小学校では7月にプール開きというものが行われ、「これ以後はプールに入ってよろしい」というわけで、水泳の授業が始まるわけだが、昨日までは寒くて今日からは暑い、などということはある筈もなく、得てしてプール開きの日の水温は、泳げるレベルではない。それでも入れてしまうのは、若さゆえだったのだと思う。
この日の八重山の海は、正しくこのような日であった。つまり、海水浴、これ即ち修行であった。道理で水着の婦女子を見ないわけだ。
勿論、ゼロではないが、いかに伊毛打のストライクゾーンが広かろうとさすがに厳しいだろうと思わせるメンツではあった。彼氏と一緒であるか、明らかに小学生以下かその母親か、はたまた・・・いやこれ以上言うまい。
水が冷たいわ、水眼鏡が無くて何も見えないわで、そもそも泳げない俺は、早々にビーチにオットセイの如く寝そべったが、2人はキャッキャと嬉しそうに潜って喜んでいる。
青や黄色の魚がそんなに珍しいのか?嬉しいのか?寒くないか?と矢継ぎ早に質問を浴びせたかったが我慢した。彼らは今日で帰るのだ。
3時間後、伊毛打が青白い顔をして寒さに震えながら、けれども満足そうな表情を浮かべて戻ってきた時点で、遊泳タイムは終了した。

トボトボと歩きながら、これから東京へ帰る2人を港まで送っていった。両人ともそれなりに満足していたみたいだから、良かったのだろうと思う。
ほぼ俺の我侭で行き先を八重山に決めて、わざわざそれに付き合ってもらったのだ。笑顔で見送ろう。ありがとう。道中気をつけて。俺はこれからお前らの分ももっと楽しむから。
かくして俺は、朝のうちに予約しておいたK荘に、一人で入ったのであった。

夕食後、島の西側から真西に向かって突き出ている桟橋に夕陽を見に行った。今日は久々の晴れということで、島にいる旅行者が多く集まっていた。しかし、旅に出るとどうして人はこうも朝陽や夕陽に弱いのだろう。西表島へと沈む夕陽を、皆じっとだまって見つめていた。