北畠道龍『印度紀行釈尊墓況説話筆記』

北畠道龍(述), 森祐順(記) 『印度紀行釈尊墓況説話筆記』 大阪, 西岡庄造, 明治17(1884)年, 24p.

<本文>

北畠道竜(1820-1907)は、和歌山県出身の僧侶(浄土真宗西本願寺派)である。今回は、彼のインドへの旅について。
本来であれば、彼自身の手になる詳細な旅行記『天竺行路次所見』(荒浪平治郎, 明治19年)を紹介すべきところなのだが、こちらは近代デジタルライブラリーに収録されていないので適宜参照するのに留め、本書を紹介した次第。
さて、仏教改革に志を燃やす北畠は、明治15年からアメリカ、ヨーロッパ(ドイツ、オランダ、デンマークスウェーデンオーストリア、トルコなど)に学んだ後、明治16年11月11日にインドはムンバイに降り立った。目的は、仏教が衰え、ヒンドゥー教が盛んなインドにおいて、無謀にも釈迦の墓を探すことにあったらしい。
北畠は黒崎雄二を伴い、20日ほどかけて、バナーラスを経由してガヤーに至った。道々、言葉が通じないので、手真似口真似で釈迦の墓を探しながらの旅路だったらしい。そしてそこで、やってしまった。今もブッダガヤーに聳える大塔を、北畠は釈迦の墓と勘違いしてしまったのだ(ブッダガヤーでは、折から発掘が進められていたので仕方ない面もあるが・・・)。そして、勝手に「御墓ヂャー」と喜び感泣に暮れている分にはまだ良かったのだが、(17円もかけて)次のように石に刻ませてしまった(今は残っていないらしいが)。

日本開闢来
余始詣于
釈尊墓前
道龍
明治十六年十二月四日

翌年の日本帰国直後に刊行された本書は、その際の顛末が書かれている。また、同時期に、西村七兵衛編『北畠道竜師印度紀行』(西村七兵衛, 明治17年)も刊行されている。
ちなみに、北畠は、その過激な物言いが疎まれて浄土真宗の僧籍を剥奪されたり、大学をつくろうとして失敗したりと、その後も波乱万丈な人生を送っている。

参考文献;
石井公成「明治期における海外渡航僧の諸相 ―北畠道龍、小泉了諦、織田得能、井上秀天、A・ダルマパーラ―」『近代仏教』第15号、日本近代仏教史研究会、2008年8月、

天鼓鳴りやまず―北畠道龍の生涯

天鼓鳴りやまず―北畠道龍の生涯