陰翳礼賛:ハノイ

 椅子は硬い。足も伸ばせない。隙間風が身にしみる。他の乗客の咳払いが耳につく。全く寝られやしない。こうなると、それまで空気のように感じて何も意識しなかった、列車の音や揺れさえも、旅人の睡眠を妨げる要素となる。
 僕はハノイからフエへと向かう夜汽車に乗っている。夜の十時にハノイを出発し、次の日の昼の4時には着くという。20時間の移動である。
 これじゃまるで何かの修行じゃないか。何故、金を払って、休暇を使ってまでこんな苦労をしなけりゃいけないんだろう。

 ただ、移動したかったのだ。ここではない何処かで、ある場所からある場所まで、移動したかったのだ。安定した生活を持つ定住者が憧れる、移動への、漂泊への激しい憧れ。それだ。
 そこで、僕はベトナムを選んだ。
そこで、といきなり書いたけれども、そこに至る理由には、幾つかある。10日ばかりの日程で走破できるくらいの移動距離を想定できる国。ビザが取りやすい国。暖かい国。そして何より、今回の旅を思い立った1月半ばの時点で航空チケットが取れた国。それらの条件を満たしていたのが、ベトナムだった。
 
 ハノイノイバイ国際空港に着いたのは夜の九時すぎだった。はやる気持ちを抑えかねて、僕は足早に正面入り口を出た・・・。
 何と、出れてしまったのだ。夜ということを差し引いても、拍子抜けする位に誰も旅行者である僕に声をかけない。また、こういう時は個人旅行者同士でタクシーをシェアして、などということも多いのに、今回は日本からの直行便(つまり、高いのだ)を使ってしまったために、それらしい人影も見えない。
 参ったなぁ。さて、これからどうしようか。市内にはどうやって行ったものかな。一人旅には付き物の、こういう途方にくれてしまったような、それでいてどこか浮き立っているような気分は、僕は嫌いではない。
 少し立ち止まって逡巡していたら、やはり来た。タクシーと乗り合いミニバスの運転手だ。値段を聞くと、タクシーが10$、ミニバスが4$だという。正直なところどちらでも良かったのだが、ミニバスはもう僕を乗せたら発車といった様子だったので、そちらにした。
客は僕のほかに、ベトナム人、白人中年ヒッピー、白人カップル、中年日本人旅行者、という顔ぶれだった。白人旅行者同士で声高に喋っているのが聞こえる。どこそこの宿が安い、知り合いから教えてもらったのがある、私はいくら以上は払えない・・・
その瞬間、僕は「あぁ、戻ってきたんだな」と思った。
 別に旅が自分の戻る場所、と思っているわけではないが、フッと浮世を離れて体が軽くなったような感覚だ。生暖かくて、少し埃っぽい風が体を包む。
市の中心らしきところ走り、予約してある客はそのホテルで下ろし、まだ決まっていない客は提携しているホテルへ連れて行く。走っている所がどうやら安宿が集まる旧市街だろいうことは何となく分かるが、通りまではよく分からない。
 結局、最後まで残った僕は、散々色々なホテルを連れまわされた挙句、Nam Phongというまだ新しいホテルで下ろされた。旧正月明けで、空きのあるホテルはもうここしかないという。探せばあるに決まってるのだが、10時もまわっていることだし、15$と安くない(否、寧ろ高い!)がそれに見合った部屋の作りでもある。一泊目としては悪くない。
荷物を置いてチェックインの手続きを待っている間に、ジャスミンティーを振舞われた。これですっかり気分が良くなった僕は値段も忘れて、旅装を解くことができた。シャワーを浴びて、テレビのサッカー中継を見ながら一息つくと、さらに欲も湧いてきた。
これでビールがあれば・・・。

 僕は旅に出ると、朝が早い。寝るのが早くなるということもあるのだろうが、やはり気持ちが昂ぶっているのだろう。
 カルカッタで朝五時発のダッカ行きのバスに乗らなければいけなかったのに、目を覚ましたら五時半だったという苦い経験が過去に一度あっただけで、基本的に目覚ましいらずなのだ。もっともその時は、定時なんてあるようで無いインドという国のおかげで、不思議とバスには間に合ったのだが。
 この日も六時に目が覚めた。
 そして早速、街を歩いてみた。街の地理を頭に入れるには、やはり歩き回るのが一番だ。こうすると、自分なりのその街での過ごし方が見えてくる。
どこに行くか少し迷った挙句、まずドンスアン市場に行ってみた。その日は日曜だったので市場は閉まっていたけれども、周辺の路地には野菜や果物、肉、魚介類を所狭しと広げて、ベトナム人女性がしゃがんでいた。なかなかの活気だ。この市場は、明らかにまだ生きている。
歩いていて、ふと日本ではまず味わえない感覚にとらわれていることに気づいた。何故だろう?
答えはすぐ出てきた。自分の頭が一つ、抜け出ているのだ。
ベトナム人は目線が低い。平均身長が低いということだけではなくて、しゃがんでいる人の割合が高いからそう感じるのだろう。フォーなどの屋台の椅子も、風呂場に置いてあるそれのような低さだ。
 思えば、よくベトナムや他の東南アジアの国々の市場の写真などをガイドブックや映像などで見かけるが、全て上から見下ろす目線だった。そうなるのは、この低さを考えれば仕方の無いことだが、僕には気に入らなかった。そのことを僕は思い出した。
よし。ひとつ同じ目の高さでシャッターを切ってやろう。
僕はそう考えた。そして実行に移そうとしたが、結局その朝は、おばさん達と肩を並べてしゃがみこむことはできても、カメラを向けることはできなかった。
 しばらく朝の街歩きを楽しんでから、僕は一度ホテルに戻り、そして屋上の狭いレストランでパンとコーヒーの朝食をとることにした。昨晩、少しホテル代を値切ったところ、朝食を付けてくれると向こうが言ったので、市場でフォーか何かを食べるのにもかなり心惹かれるものがあったのだが、わざわざホテルに戻ったのだ。
 隣では、中年のアメリカ人旅行者が、まだここに着いて間もないと思われる若い白人カップルにハロン湾やサパなどの旅行情報を、自分の旅自慢たっぷりにレクチャーしていた。カップルの男性の方はいい加減うんざりした顔をしているのだが、女性の方は人が良いらしく、笑顔で相槌を打っていた。アンクル・サムはここでも空気を読まない。

 僕としては日程上、明日には次の目的地であるフエに着きたかった。ただベトナム旧正月が明けた直後で、移動するのは難しいという。それでも僕はダメ元で旅行社に行って、何とかハノイを出る手段を算段することにした。何と言っても、僕には優秀な通訳がいるのだ。
近くの旅行社で聞くと、そこで仕立てるツーリストバスは一杯だという。しからば、列車はどうかと聞くと、カウンターにいたピンクシャツを着た若い男が卑屈な笑みを浮かべながら答えた。
トライしてみる。多分大丈夫だろう。1時間待ってくれ。駅へ行ってくる。
そこで僕は、早速ホテルをチェックアウトして、待つことにした。たとえ列車のチケットが取れなくても、あのホテルはもう一泊するには高すぎた。

 1時間後、ピンクシャツが笑いながら言った。
 駄目だったよ。でも一つ方法がある。うちのバスに乗せてやる。席は無い。けれどオマエが椅子を持って乗り込めばいい。多少高くなるけど、いいだろう?
高くなった分がそのピンクシャツの懐に入るのは明らかだったが、この際仕方ない。大事なのは今日、ハノイから出ることなのだ。時間は十二時前。バスは六時発。しばらくハノイを歩けば、ちょうど良い時間だ。
 それで行こう。となると、残った時間は真面目に観光にあてることにした。
 まずは歴史博物館へ。と、行ってみたら閉まっていた。ガイドブックをよく見ると、昼休みがあるという。今まで行った国ではあまり出くわさなかったので、少々やるせない気持ちに襲われたが、仕方ない。
 特に見たいものがあったわけではなかったので、昼休みのない文廟に行ってみた。文廟というのは、孔子を祭る為に11世紀に建てられたもので、その後構内に大学が設けられ、阮朝以降には科挙合格者の名を刻んだ石碑が建てられた、言わばベトナムの知の殿堂というべき代物である。確かに、優美な朱の瓦葺屋根のラインだ。観光客向けに宮廷音楽を奏でてくれるのも悪くない。けれども、それだけだ。僕の驚きの既定値を超えるものでもない。
 次に行ったのはホー・チミン博物館。外見からして凝った作りだったが、30分ほど昼休みが終わるのを待ってから入った中は、もっと凄かった。
ホー・チミンの事績やその思想が分かるようにされているフロアーや平和を訴えるフロアーなど、その伝えたいことはよく伝わってくるのだが、その展示方法がもっと凝っている。奇天烈すぎて、正直言って見にくい。ただ、熱心に展示物を眺めるベトナム人を見ていると、この装置が国民の再教育の場としての役割を果たしていることはよく分かる。
 そうなのだ。ベトナムに来てからあまり意識していなかったが、ここは社会主義の国なのだ。街にも笑顔の老若男女が上を向いていたり、シャベルなどが大きく描かれた看板がいたるところにあった。

 少し涼しくなってきた頃、旧市街の側のホアンキエム湖に戻った。ゆっくり座ろうかと思っていたのだが、見ると人だかりができている。後ろで背伸びしていた白人に聞いてみても分からない。旅行者よりむしろベトナム人が騒いでいる。泊まっていたホテルの従業員も背伸びしている。人ごみを掻き分けてよく見ると、亀だった。そういえばこの湖に浮かぶ祠には大きな亀の剥製が祭られているという。どうやらそれと関係がありそうだ。
それにしても、これは縁起がいい。僕は少し嬉しくなった。
そして約束の六時前、律儀に旅行会社に行ったのだが、僕は耳を疑った。何と、ピンクシャツはもう帰ったという。もちろん、バスの話についても取り付く島も無い。
 確かに話自体が胡散臭かったから、ある程度予想できていたし、ハノイも意外と面白い街だったので、もう一泊してもいかな、と僕も考え始めた。
そのとき、社員の一人が、少し待てば列車のチケットを取ってやると言う。少し迷ったが、僕は日程を優先した。それに列車というのもツーリストバスよりこちらの方が面白そうで有難い。
待つこと15分。無事チケットが手に入ったという。九時半にまたここに来たら駅まで送っていってくれるということで話が着いた。

 思わぬ形で宵のハノイを楽しむ時間ができた。
 僕は旧市街の薄暗い細い路地を分け入っていった。細い路地には小さなホテルや雑貨屋などツーリスティックなものも入り込んでいるが、その大半は古い町並みだ。それにしても、何故こんなにも薄暗く、裸電球の淡く少し赤みがかった光が印象的なのだろう。そして、その灯りの下に居る人々の何と幻想的なのだろう。
 僕は不意に、ルアンパバンは陰翳がよく似合う街だったことを、初めてインドに入った時にバスの窓から見た裸電球の下で蠢く褐色の肌の人々の印象が強烈だったことを思い出した。これらの共通点は、街灯が無いこと。
店先にぶら下げられた裸電球の照らす光は、その下にある全てのものを、幻想的に見せるのだ。
とある小さな店でフォーの夕食をとった。店先に腰掛けた女性がワンタンを作りながら、店の前を通りかかった赤ん坊を抱いた奥さんとおしゃべりしている。彼女たちを見る僕の目線の側に、真っ赤な花が生けられている。
気づけば、飼い犬が僕の足元に寝そべっている。全てが裸電球の下にある。聞こえてくるのは、時おり通るバイクのエンジン音と近所の家から聞こえるテレビの声だけだ。
 食後のお茶をすすりながら、僕はハノイの宵に満足していた。