原田藤一郎『実践地誌 北清事情』

原田藤一郎 『実践地誌 北清事情』 東京, 青木嵩山堂, 1894, 99p.

<本文>

原田は、1892年から北東アジアを単身旅行した。船で上海に入り、そこから陸路北京まで北上し、そこから満洲を横断してからソウルまで南下する。その後は、元山から日本海沿いにウラジオストックまで北上し、そこからは船で樺太を周って帰国。1年8か月の旅であった。殺伐とした情勢とは裏腹に、比較的のどかな旅路だったらしい。
その旅の詳細な記録は、同年に刊行された『亜細亜大陸旅行日誌并清韓露三国評論』(青木嵩山堂, 1894)に詳しいが、近代デジタルライブラリーには収録されていない(=ネットで全文閲覧できない)ので、ここではより詳細に清国の事情を紹介するために執筆された本書を紹介したい。
本書で原田は、「亜細亜単身旅行者」という肩書を名乗っている。要は一介の庶民である。『亜細亜大陸旅行日誌并清韓露三国評論』によると、様々な職を転々とした挙句、大陸での一発逆転を夢見て、(友人から金を借りて)旅に出たのだ。このように何の専門家ではない一旅行者の原田だが、彼の三国への視線は鋭い。たとえば、

  • 日本は中韓樺太を押さえ、インド・チベットを押さえる英国と協調してロシアを抑え込むべし。河川の凍結する冬が攻めるによい時期。
  • 清国皇帝を擁立して満洲に帝国を建てるべし。その場合、漢族の民衆が敵となるので、孔子の末裔を封じて懐柔すべし。

といったコメントは、実際に彼の地を単独旅行した人物の言葉だけに、その持つ意味は重い。「実践地誌」の面目躍如といったところだろうか。
ところで、日清戦争後、満洲を中心とした北東アジアの地誌は増えていくが、本書はそのハシリとも言える。

参考文献;
貴志俊彦日清戦争勃発前年の北東アジアの政治と社会:原田藤一郎『亜細亜大陸旅行日誌并清韓露三国評論』を通じて」 『メディアセンター年報(島根県立大学)』 4, 2004, pp.2-11.

日本人のアジア認識 (世界史リブレット)

日本人のアジア認識 (世界史リブレット)