竹越与三郎『南国記』

竹越与三郎 『南国記』 東京, 二酋社, 明治43(1910)年, 374p.

<本文>

日清戦争以降、日本国内の世論は中国大陸への進出により重きを置く所謂「北進論」が大勢が占め、南洋や東南アジアなどの南方への経済的進出(殖民を含む)を説く論客(主に民間人)は少数派となっていた。

南へ! 南へ!
邦人南方を忘る。獲夫は往々にして遠樹にある鳩鷹を見るに忙はしくして、眼前の叢中に巨雉あるを知らざることなきにあらず。其他人に驚醒せられて足下を顧みる時は已に其健翼を揮つて飛び去りたる時とす。・・・我が将来は北にあらずして、南に在り。陸にあらずして海にあり。

なんとも扇情的な書き出しで始まる本書は、在野の文人・学者として名を馳せ、当時は衆議院議員となっていた竹越与三郎が、自らが主張する「南進論」を実地踏査により実証的に裏付けるために明治42年6月から9月にかけて行った、南洋視察旅行の紀行文であり、「北進論」に傾斜していく世論に一石を投じるものとなった。
本書の内容は、竹越が訪れた中国南沿岸部、インドシナ半島の諸都市や、シンガポール、ジャワなどの詳細な地誌や各国の植民政策の比較などの記述、更には日本の北進政策への非難、南進政策への提言などが書き連ねられた、通常の旅行記や地誌とは一線を画した内容となっている。
なお、各メディアの反応は、『本書に対する評論』(二酋社, 明治43年)にまとめられているが、それらは概ね好意的なものになっている。本書は、その後、版を重ねたらしいが、それも頷ける。
その後の昭和期にかけての帝国・日本の南進政策を考えると、竹腰本人の意図は別にしても、本書はその底流の一つとなっていったことは間違いないだろう。