レー・ドス・モチェ

 僕のレー滞在中に、街は年に一度のドス・モチェの日を迎えた。
ドス・モチェとはチベット暦の年末(西暦では2月)の2日間に行われる豊年祭のようなもので、冬の間はさびれたレーの街も、この時ばかりはラダック中から集まってきた人たちで溢れかえるのだ。

 一日目。朝からメインバザールには、食べ物、衣料・雑貨品、射的、賭博トランプなど、多くの露店が立ち並ぶ。タクシー・スタンドの方からは、大ビンゴ大会の掛け声も聞こえてきたりもする。バス・スタンドに着くバスからは、様々な顔立ちをし、思い思いの晴れ着をまとった人々が続々と出てくる。“花の民”と呼ばれるドクパの人々ー西方に住む印欧系の先住民族で頭に花飾りをしているーも多い。
 昼を過ぎた頃から旧王宮前のテラスには人が集まりだし、1時になる頃にはテラス周辺だけでなく、テラスを見下ろす山の斜面も老若男女がびっしりと張り付いている。地元のTV局のクルーも来ているし、外国人の姿もちらほらと見える。

 振る舞いの食事を摂りながら、周りのラダッキとお喋りに興じていると、おもむろに楽士たちが遥かヒマラヤに向かって鼓を打ち、祭りの始まりを告げた。
 そして、僧侶達による腹の底に響くような長笛の下、道化た死者や、鬼や、龍や鹿などの獣などの仮面が、テラスの真ん中に建てられた柱を巡って華やかに、ユーモラスに舞う。そして、最後に鹿が、バターで象られた豊穣神を切り刻み、豊年の祈りを捧げる。

 一日目はここで終わり。人々は再び読経と娯楽の待つ街へと戻っていった。

 そして二日目。この日も、メインバザールは人ごみで溢れていた。昼を過ぎた頃から旧王宮前に、三々五々に人が集まってきたが、心なしか、昨日より少なかったと思う。
 前日と同じように暫くテラスで舞ってから、仮面の一団は隊列を組み、楽士を先頭にしてツェモの丘を下りてメインバザールの方へと向かう。老いも若きもその後を、競っておいかけていくので、当然、僕も追いかける。
 旧市街の狭い路地坂を、神と人が溢れ出さんばかりに流れ落ちていく。一行はそのままメインバザールを突っ切り、街外れの大きな広場へと到達した。
 ここからが、メイン・イベントなのだ。ふと周りを見渡せば、少し窪地になっている広場を茶色い顔がビッシリと上から包囲している。

 赤帽を被った僧侶の読経が流れる中、シャーマン役のラマが巨大な「ド」(糸巻き。糸は災厄をからめとる、ということから)に火をかけた次の瞬間、それまでジッと成り行きを見守っていた人々が、われ先と「ド」に向かって突進し、完膚なきまでに「ド」を破壊し、破壊しつくすと、そのまま踵を返して街へと戻っていった。
そして、祭りは唐突に終わった。残ったのは、もはや残骸となった「ド」を蹴飛ばして遊んでいる子供たちだけだった。