レーの日本人

 オフシーズンのレーにいる外国人は数えるほどだ。ごく小さな街なので、数日もするとだいたいの顔を覚えてしまう。
 日本人はというと、僕の他にデリーからの飛行機で一緒になった、T君という学生が一人いた。彼は京都から来た大学生で、インドばかり5回も貧乏旅行しているという、華奢な見かけとは裏腹になかなかのツワモノだった。
最初に彼を空港の搭乗ゲートで見たときには、若い日本人が締まりない顔でニヤニヤしながら突っ立っているので、「何かいけないものでも体内に吸引して楽しくなっているのではなかろうか」と不審に思ったが、何のことは無かった。その後、いつ会っても彼は常にニヤニヤしていた。

 T君は、デリーで「レーはいいよ」という言葉を出会った旅行者から聞いて、フラっとここまで来たという。
その身軽さは素敵だと思ったが、どうにも場所と時期が悪い。夏でも日陰は肌寒いというのに、飛行機を降りたらマイナス3℃の冬の世界に、セーターもジャンバーも無くペラペラのパーカーだけ羽織ってやって来るというのは、迂闊すぎると思う。
案の定、彼は風邪を引き、寝込んでしまった。高度障害を起こさなかったことがせめてもの救いだろうが、そういうわけで、結局彼は、僕が滞在していた一週間、ほとんどをホテルで過ごすことになった。

 そして、彼には驚くほど金がなかった。
 デリーまで飛行機で戻る金がないので、ジャンムーに一度飛び、そこからスリナガル経由で、バスでデリーまで戻ると彼が言い出したときには驚いた。ここのところカシミール地方で大きな紛争が起きたとは聞かないが、そんなハードな帰路を取と分かっていてそれでもなおレーまで飛んでくるというのは、やはり迂闊以上に無謀だと言ってもいいだろう。
おまけに、その飛行機があるのは2週間後。T君は、僕が帰ってからも延々と寒さと孤独に打ち震えていたことと推察される。

 そんな調子だったので、最初はT君を「タクシーシェアの相棒に」と思った瞬間もあったのだが、とてもそういうわけにはいかなかった。とはいえ、彼は晩飯の友としては貴重な存在だった。
観光客も殆どいない冬の街。地元の人はあまり外食をしない。6時を過ぎれば店のシャッターは下り、人間に代わって野犬が跋扈する漆黒のメインストリート。
 そんな中でも開いている数少ない店をローテーションで回り、かつラサより数段味の劣るトゥクパ、マトン・モモ、焼きソバ、焼き飯をローテーションで回すという単調極まりない食生活において、話し相手となってくれる彼の存在は有難い限りだった。
そんな彼に僕は、使わなかったフリースとホッカイロを餞別に置いてきた。