レーのタクシードライバー

 高山病の症状も幾分和らいできたので、タクシーをチャーターして少し遠出してみようと思った。本当は誰かと車をシェアしたかったところなのだが、手ごろな道連れが見つからず、結局一人で、3つのゴンパ―アルチ、リゾン、リキル―を周ることにした。

 まだ夜も明けきらないうちに、メインバザールに止まっていたタクシーに乗り込む。前の日に声をかけておいたドライバーがドアを開けてくれる。チャンバという名の、日に焼けて年齢以上に老けて見える顔と、前髪が揃った坊ちゃん刈りが妙にアンバランスな男だ。確か、僕と同じ年だと言っていた筈だ。
 いいよな。旅行とか出できてさ。羨ましいよ。と、自己紹介の後にボソッと付け加えるのも忘れなかったが。
チャンバは香を焚き、ひとしきりシャカに祈りを捧げたところで、おもむろにエンジン・キーをひねる。トヨタランドクルーザーは、薄汚れた外観にそぐわない快調なエンジン音を奏でる。

メインバザールから真っ直ぐに道路を下ってレーの街を出て右手に折れていくと、すぐに空の蒼と剥き出しの山肌の濃い茶色の世界になる。そして、もう暫く行くと、インド軍の基地が左右の山肌に展開しているのが目に入ってくる。
インドと中・パ、いずれの国境も未確定であり、その最前線であるラダックは、重要な軍事拠点なのだ。実際、レーの街の彼方此方にインド軍の基地がある。街を闊歩するインド軍兵士も珍しくない。
「そりゃ仕方ないよ。ラダックはパキスタンと中国との国境に挟まれた場所だからな」
チャンバはそう言って笑う。けれども、このチャンバの言葉の裏を返せば、ラダックは「陸路交易の要衝」でもあるわけだ。実際、東西トルキスタンとインド・チベットを結ぶ幹線の一本が、レーを通っていた。
しかし、それは昔の話。国境が閉じられてしまった今は、交易はラダックの主要産業とはなりえない。今や、駐留するインド軍と、1974年以降大挙押し寄せるようになった観光客が落とすお金こそが、ラダックを支えている。
僕は「沖縄」の姿を思い浮かべた。

 チャンバは、母親と妹と三人で暮らしているという。
「毎日、メインバザールで客待ちさ。冬でも関係ないよ。夏場はもちろん一番儲かるけど、冬だってたまにスリナガルやカルギル、そしてマナーリの方へ行くことがあるしな。悪い商売じゃないよ。」
 僕がチャンバに払ったのは、1400ルピー。「ユニバーサル・プライス」ということだったが、彼とその家族にとっては、季節外れのボーナスといったところかもしれない。