ゴルムドにて(2)


 出発は昼過ぎになると言う。
「あまり外をブラブラするなよ!公安に見つかると厄介だしな!」
男達は何度も念押ししたが、俺は無視することにした。
「見つかって困るのは、公安よりも商売敵だろ?」
と日本語で言い残して、俺は敦煌で買った人民解放軍コートを羽織って街へ出た。
 明るくなってみると、ゴルムドは何の変哲も無い灰色の四角い街並みを田舎街だということが一層よく分かる。そこを、漢族と回族が苦虫を噛み潰したような顔をぶらさげて闊歩している。

 暫く歩くと、中国旅遊(CTIS)のオフィスが見えた。
 西蔵自治区への入境許可証は、このCTISが一括して発行している。建前上、外国人は、このCTISが主催する西蔵ツアーに申し込まないと西蔵自治区には入れない。そして、このツアーに申し込めば、自動的に許可証が発行される。また、このツアーは、自動的にツアー出発地までの復路の交通費も含まれている。つまり、建前上、個人旅行者は特別に申請しないと、西蔵自治区を通り抜けることができないのである。ということは、どこかへ抜けるとなると、復路の代金は溝に捨てることになっているということである。
 先ほど、回族の若者が4,000元と言ったのは、このツアーの代金であり、それはここがゴルムドである以上、バスのツアーの代金である。成都雲南省から出ている飛行機のツアーだとこれより遥かに高額なのは当然である。因みに、ネパールのカトマンズからもラサへのツアーはあるらしい。
 勿論、今述べたようなことは所詮「建前」でしかない。
 このような高い金額を払いたくないバックパッカーは、ヒッチハイク(巡礼バスなどにお金を払って乗せてもらう)するか闇バスを利用する。これだと、値段は格段に下がるし、そのままネパールへ抜ける場合には、復路の交通費まで払う必要はない。当たり前だが、違法行為なので、道中の検問は何とかして乗り越えなければいけないし、見つかったら罰金(+賄賂)を払わされた上に、出発した街まで強制送還されてしまう。つまり、それなりのリスクを負わなくてはいけないのだ。
 そうまでして、どうして皆チベットに向かうのか?と俺の中の冷静な自分は突っ込みを入れる。

 話が少し逸れたけれども、本来ならば、俺はゴルムドに着いたら真っ先に立ち寄るべきこのオフィスに、紆余曲折を経てたどり着いた。そして、閉ざされた扉に貼られた紙を見た。そこには簡単に、「来週の月曜までこのオフィスは休みです」と英語で書かれていた。
 何のことはない。そもそも俺には、闇バスに乗るしか取るべき道は残されていなかったのだ。
 高度5000Mに国家の庇護なし―そもそもそんなものがあるのかどうか疑わしいが―で挑む腹を決めた俺は薬屋に行き、薬局員が「これは高山病に効く」と薦めた「紅景天」という薬と酸素を2本購入した。
 もっとも、これらは何の足しにもならなかったのは数時間後に実証されるのだが、気休めというのも必要なのだ。