スケベニンゲンへの道

 「オランダの有名な避暑地の名前、スケベニンゲン!」

 嘉門達夫がこう叫ぶ「学問」という歌を初めて聞いたのは、小学生のころだった。女友達から借りたカセットテープに入っていた曲だったと思う。
 いかにも小学生が喜びそうなその名前に、当時の私も例に漏れずに「なんちゅう名前やねん(笑)」と無知蒙昧な反応していたのだが、そのうち嘉門達夫を聴くこともなくなり、それとともに「スケベニンゲン」という名前も記憶の彼方に押し流されたのであった。

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 そして30年後の2019年。野暮用でハーグに行くことになり、ガイドブックをパラパラと眺めていて気がついた。

「ハーグにほど近いビーチリゾートの<スヘフェニンゲン>って、あの<スケベニンゲン>か!」
 実は9年前にもハーグに行っているのだが、当時はこの事実を完全に見落としていたようだ。オランダに着いてから野暮用の都合で急きょハーグに立ち寄ることになっただけなので、ろくにハーグ自体のことを調べなかったからだろう。
 こうなると、9年前の忘れ物を回収するためにも、「どうしても行きたい」と思うのが人情というもの。行って何があるわけでもないだろうが、とにかくスケベニンゲンの地を自らの目で見て、自らの足で踏みしめたくなってしまったのだ。嘉門達夫の歌も、再び頭の中でリフレインするようになった。

 今回はハーグに3泊することになっているのだが、到着するのは夕方だし、その後の2日間は朝から夜まで野暮用で拘束されるので、空いているのは最終日の朝、フライトまでの数時間しかチャンスはなさそうだった。

 

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 そして、迎えた最終日の朝。それまでひどい時差ボケに苦しんでいたのだが、ようやく身体がこちらの時間に適応してきたようで、すっきり目が覚めた。シャワーと食事を手早く済ませて、準備も万端だ。
 ホテルの外へ出てみると、前日の霧は消えたものの相変わらずの曇天で少し肌寒いが、小雨がぱらつくこともなさそうだった。フライトには11時までにホテルを出れば十分間に合うので、それまでの2~3時間の間にスケベニンゲンまで行って帰ってくればよいことになる。

 ガイドブックの地図を見てみると、ノールドアインデ宮殿の近くにあるホテルからスケベニンゲンまで5km、トラムだと20分もあれば着いてしまう距離らしい。1時間もあれば問題なく行って帰ってこれるわけだが、それももったいない気がしたので、思い切って歩いていくことにした。ホテルを出てすぐの道を海に向かってひたすら直進すればいいだけなので、さすがに迷うこともないだろう。それに、行って帰ってくるだけになるかもしれないが、街の様子もより感じることができるかもしれない。
 シャツの上に薄手のフリースを着こんで、歩き始めた。

 

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 宮殿前の運河沿いに少し歩いてから、大使館などが並ぶ閑静な通りを抜けていく。早い…というほどの時間ではないと思うが、土曜日ということで人影もまばらだ。
 15分も歩くと、威容を誇る平和宮殿が見えてきた。開場までまだ少し時間があるらしく、門の前に観光客が10人ほど立っている。せっかくの機会なので見学したいところだったが、今回はパス。縁があれば、また訪問する機会もあるだろう。
 さらに歩を進めると、スケベニンゲン森林公園の入り口が見えてきた。公園に沿ってスケベニンゲンへと続く車道とトラムの軌道と並行するように、公園の中を小径が走っていたので、こちらを歩くことにする。適度にアップダウンもあるし、なかなか歩き甲斐のあるコースだ。東京に置き換えると、代々木公園の中のランニングコースを延々とあるいているようなイメージだろうか。
 こんなことならランニングシューズを持ってこれば良かったなぁと思いながら、ずんずん歩いていく。時折り自転車で疾駆する人や、犬を連れた人とすれ違ったりしながら20分ほど歩くと、公園が途切れた。次はどうやら、高級住宅街エリアのようだ。木立の向こうに瀟洒な建物がチラホラと見える。
 バスやトラムに次々と抜かれていくが、気にしないことにしてさらに歩くと、こじんまりとした市街地に入る。どうやらスケベニンゲンに着いたらしい。大きなスーパーや協会があったので、観光地ではないスケベニンゲンの中心地はこの辺りのようだ。
 さらに真っすぐ歩いていくと、これまでずっと並走してくれていたトラムの軌道が道なりに右折して逸れていくポイントに出くわした。恐らく軌道に沿って歩いていけば、スケベニンゲンのシンボルである華麗なクールホテルや大きな桟橋に着くのかもしれない。だが、ここまでの1時間近くの歩きで疲れていたので、海までの最短距離をとることにして、そのまま直進して少し細い通りに入る。
 この通りは地元のスーパーや八百屋などに混じって、観光客向けに魚を食べさせる飲食店や土産物屋も並んでいて、金曜日の夜などはさぞや賑わっていただろう。けれども、この時間だと多少の人通りはあるとはいえ、店は軒並みシャッターを下ろしており、まるでうらぶれた観光地のような味わいだ。

 

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 通りを抜けたところに教会があって、その前の坂を上ると、目の前に茫漠とした北海が飛び込んできた。
 どんよりと暗い雲が水平線に覆いかぶさり、少しかかった靄がその境目を曖昧にしている。不自然に大きな街灯は所在なげに立ちつくして、海からの風にさらされている。遠くには、でかい観覧車を積んでまるで打ち捨てられた戦艦のようなでかい桟橋が、海に向けてせり出している。そして、点在するシャッターの下りた建物が、季節外れのビーチの印象をさらにくすんだものにしている。
 まるで、ニール・ヤングの『渚にて』のジャケットそのままの光景だった。私が目にしたスケベニンゲンは、嘉門達夫が言っていたようなリゾート地でもなく、あるいはハーグ中央駅前に掲げられていたポスターのような、週末の笑顔溢れるレジャーランドでもなかったのだ。

 そのことが不満だったわけではない。
 むしろ、このまるで「地の果て」のようなスケベニンゲンに満足していた。それは、この日本人にとってインパクトのある名前を持つこの土地にようやく立つことができた、というだけではない。初めてユーラシア大陸の「果て」で海を臨むということができたということによる満足感なのだが、これには少し説明が必要だろう。
 18年前、私はユーラシア大陸の東の端・上海から西へ向けて進む旅に出た。しかし、与えられた時間と折からの国際情勢は私にパミールを越えてさらに大陸の「果て」までたどり着くことを許さなかった。そして、その後も大陸の「果て」に立ちどこまでも続く海を臨む機会は訪れなかった。
 しかしこの日、図らずもその機会が訪れたのだ。冷静に考えれば、ここは大西洋を臨むロカ岬でもないし、そのまままっすぐ行けばグレートブリテン島にほどなく突き当たるし、そもそも海に面してさえいればスケベニンゲンである必要もない。
 けれども、ここで私はどうやら、9年前の旅ではなく、18年前の旅の忘れ物を見つけたらしい。この日のスケベニンゲンが私に見せてくれたこの寂寥とした表情は、その心象風景にふさわしいものだったのだ。

 

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 しばらく海を眺めてから、桟橋の方には向かわずに、来た道を戻ることにした。
 縁があれば、またスケベニンゲンに来る機会もあるだろう。その時に、この街はどのような表情を見せてくれるだろうか。