旅のはじまり

 船がゆっくりと河をさかのぼる。上海の街が迫ってくる。僕の乗ったこの大きな船のわきを、きわどく小さな船がすれ違ってゆく。日差しは二日前に出た日本よりも、少しきつい。僕はフェイクの皮ジャンを脱ぎ、そして腰に巻いた。

 2001年10月14日午後2時、2日間の航海を無事終えた蘇州号は海の港に投錨した。ここが、東ユーラシアを彷徨する今回の僕の旅の出発地となるのだ。
 この時期の旅立ちには、どうしてもあの9月11日の事件に触れざるを得ない。カンボジアからの帰国直後の9月3日に翌年4月の採用という報せが届き、旅立ちを決めた。9月いっぱいやるべきことを片付けて、23度目の誕生日を迎えてからにしようと思ったその矢先だった。事件への世間の様々な思惑をよそに、僕の心を占めていたのはただ一つのことだった。
「これでパミールを越えることはできないな」
 僕の今回の旅の目的の一つは、3世紀から10世紀の中央ユーラシアにおける陸上交易−シルクロード交易と呼んでもいい−で活躍した中央アジア出身の商業民族、ソグド商人の足跡を、アム河とシル河に挟まれた彼らの故郷であるいにしえのソグディアナの地まで、逆に辿ることだった。
 最近、ソグド人と思しき墓が発掘され、注目を集める山西省太原から西へ、西へ。西安を過ぎ、河西回廊を抜け、タクラマカン砂漠へ。そこからパミールを越えれば、ソグディアナはもう目前だ。
 あの日の飛行機はWTCのビルだけでなく、僕が頭に描いていたこのルートを一瞬にして、吹き飛ばした。パミールどころか、新疆ウイグル自治区も穏やかでないという。実際の現地の危険度はさほどでもないのだろうが、僕はそういった情報に全く動じないほどの強心臓は持ち合わせていなかった。もちろん、親も、友人も。
 しかし、行かねばならなかった。このチャンスを逃せば、二度とこんなことは無いと思ったからだともいえるし、自分がそれまでの何年かをつぎ込んだ研究対象をこの目で見たかったからだともいえるし、日本での生活にある種の行き詰まりのようなものを感じていたからだともいえる。
 とにかく行かねばならなかったのだ。西へ、行けるところまで行く。だめならチベットを抜けてインドへ至るルートへと変更すればよいだけのことだ。

 決まれば早かった。10月14日12:00大阪南港発の蘇州号の片道切符を手配し、今回で三度目の道連れとなるバックパックに荷物を詰め込んだ。しかも今回は今までの東南アジアのように、天候は甘くなさそうだ。コートは現地調達で済ませることにしても、セーターやら手袋やらごつい靴下やら、あれやこれやと荷物がかさばってゆく。3ヶ月という僕にとっては未体験の長さもあったと思う。出発の時点ですでに、先が思いやられる重さになっていた。今回の旅の本当の目的、無事に日本へ戻ってくるということの達成に早くも暗雲立ち込めたような、気分になった。
 旅は、出発するまでは夢見るものであっても、一度始まってしまえばそれは現実なのだ。しかもそれは辛くて苦しいことの方が多い。
「まったく、何で俺はわざわざ居心地の良い場所を投げ打って、こんな所に行くんやろう」
抑えきれない不安と、妙な昂ぶりと。
 上海の土を踏んだその時、僕の旅は始まった。