旅の終着地へ


 初めてチベットに足を踏み入れたのは、2001年の秋。本来であればユーラシアを西進するはずだった旅が南下を余儀なくされた結果としての、言わば「偶然」の旅だった。けれども、そこで出逢った蒼い空と色鮮やかなタルチョと、そしてその下で一心に祈りを捧げる人々の姿は、私の中に強烈な印象を残した。あるいはそれは、薄い空気で頭がぼんやりしていたせいかもしれない。それから、ヒマラヤに点在する難民キャンプや、ラダック、カムなどへの旅を重ねて「チベット」と称される文化圏の懐の深さを知った。

 私がこれまで通り過ぎたところは、チベット全体で見れば一部の面に点を散りばめただけのものでしかない。カイラス巡礼もしたいし、アムドやカムの奥地にも行ってみたい。ドルポやスピティに足を踏み入れたい。行ってみたい場所ばかりだ。けれども、間もなく人の親となる以上は、ひとまずはこの辺りで区切りをつけないといけない。
 チベットを巡る一連の旅の終着地としてふさわしい場所はどこか―私の中では、答えは決まっていた。それがダラムサラである。植民地時代には避暑地として名を馳せたが、ここ50年はチベット亡命政府のある街としての方がむしろ通りが良いだろう。
 子どもの名前でも考えてくるよ。そう言って、私は再びバックパックを取りだした。

 バスは砂煙を巻き上げながら、北インドの平原を走っていく。ビニールシート貼りの硬めのイスは二人掛けのはずだが、あいにく隣のおばさんの占有面積が大きいせいで、私は身体を斜めにずらして窮屈な座り方を強いられている。チャンディガールの街を出て何時間も経つが、いっこうに高度を上げる気配がない。宵の頃にはダラムサラに着くはずなのだが、車窓を流れるのは見慣れたヒンドゥーの世界だ。ダラムサラに向かうバスともなれば、車中はチベット人ばかりで、道路なんかもタルチョがはためいていて…というチベット旅情あふれる光景を想像していたのが、そういった気配が一切ない。

 陽が傾きだした頃、バスは少しずつ高度を上げ始めた。名も知らない街のバススタンドに立ち寄る度に、次第に人が少なくなっていく。私を悩ませていた隣のおばさんも大きな荷物を抱えて、山あいの村へと消えていった。少し寒くなってきたので、私はバックパックの中からダウンジャケットを取りだした。
 そして、すぐに陽は落ちた。こうなると、右も左も分からない。バスはうねる山道を飽きもせずに走り続ける。しばらくして、暗闇の向こうにまばらな光が見えた。あぁダラムサラだよ。私の質問に、後ろに座っていたチベット人の男が面倒くさそうに答えた。チャンディガールを出てから7時間が経っていた。
 車を降りると、目抜き通りのバーの前で、酔っぱらった白人旅行者とチベット人の若者や僧侶が手を繋いで輪を作り、歌って踊っていた。