旅の終わりに


 デリーに戻った私は、半ば投げやりに空港のカウンターで近くのホテルを予約し、快適に空調が施された部屋で真白なシーツにくるまり、そして泥のように眠った。今回の旅は、終わった。
 それにしても、と思う。
 チベットの旅は、辛いことばかりだ。高山病、寒さ、食事、衛生、交通…それなりの金を積めばそれに応じた快適さを買うことができるが、基本的にはどれを取ってもおよそ快適とは言い難い。(場所にもよるけれど)東南アジアやヨーロッパを旅する方が、どれだけ気楽で快適か。私も、来る度に「来るんじゃなかった。早く下りたい。これで最後にしよう」と思っていた気がする。特に、寒い夜には。
 そんなチベットに、能海寛や河口彗海の時代から、多くの日本人が吸い寄せられていった。先達たちの苦労とは比べるべくもないけれど、私もその流れの中に位置づけられる21世紀の旅人の一人だ。そして、今まさにこの時も、闇バスに揺られてラサを目指す人がいて、デリーで翌朝のレーへのフライトを心待ちにしている人がいて、康定のゲストハウスで荷造りをする人がいて、そしてダラムサラで飲んだくれている人がいる。
 残念ながら、私はジャーナリストでも、学者でも、はたまた政治家でもない。チベットに関する知識こそ、学生時代の貯金やここ数年の間に読み込んだ本のお蔭で、チベットを訪れる旅行者の平均値よりは少し上くらいかとは思うけれど、所詮は単なる一介の旅行者に過ぎない。おまけに、現在のチベットに関する明確なポリシーがあるわけでもない。
 それでも、何度となくチベットの蒼い空を仰ぎ見た。
 チベットで出会った友人が言っていた。
「僕らは見てしまった。見てしまったからには、たとえ旅行者であっても、それなりの責任がある。」
 その「責任」というものがその時はピンとこなかったけれど、その後にチベタン難民キャンプを幾つか訪れ、そしてその都度申し訳ない気持ちにさせられるうちに、何となく分かってきた。私にとっての「チベットに対する責任」とは何か。
 一介の旅行者として、一歩引いたところから見れるものは見て、伝えるべきことは伝える。
 今はそう思っているのだけれど、これも格好よく言えば、何かの業(カルマ)なのかもしれない。